1991年1月
ミズーリ州立大学 入学
 
専攻:プレジャーナリズム(リベラルアーツ)
 
1993年1月
アメリカン大学ワシントンDC校へ 転学
 
専攻:国際関係学(International Service)BA取得
 
1995年2月
ダウ・ジョーンズ社ウォールストリート・ジャーナル 入社
 
 
1995年9月
ワシントンDC ジョージタウン大学大学院 入学
 
専攻:外交(Foreign Service)
MS取得
 
1997年6月
日本ゼネラル・エレクトリック株式会社 入社
 
Financial Management Programの研修生となり、金融・樹脂事業部でファイナンシャル・アナリスト
 
2001年4月
翻訳家として個人事業を立ち上げる
 
有名な米国の作家、アイン・ランドの代表作『肩をすくめるアトラス』を翻訳・出版
 
2003年9月
グラクソ・スミスクライン株式会社 入社
 
財務・経営企画部門にて、移転価格政策の見直し、予算管理業務など
 
2005年8月
CPA 取得
 
 
2005年12月
株式会社ファーストリテイリング 入社
 
現在、グループIR部リーダー
 
 
 
 
高校時代、もっと広い世界を見てみたいという思いから、交換留学制度を活用し、アメリカのミズーリ州にあるリーズサミットハイスクールという高校に留学しました。そこでさまざまな国籍の学生と出会い、コミュニケーションやジャーナリズムに興味を持つようになりました。そして、全米でもトップクラスのジャーナリズム学部のプログラムがあると聞いたミズーリ州立大学に進学。同校在学中の1991年に湾岸戦争が起こり、国際関係を本格的に学びたいという思いが強くなり、3年次には国際政治の中心であるワシントンDCの大学に転学しました。

 そして卒業後は、目指していたジャーナリストの道へ。プラクティカルトレーニングを利用し、ウォールストリート・ジャーナルのワシントン支局へ入社しました。2カ月間インターンシップで記者を経験し、4月からニュースデスクのアシスタントとして採用されました。しかし、ちょうどその頃、大学卒業直前の秋に応募していたジョージタウン大学から、大学院合格の連絡が届いたのです。当時の上司であったニューズエディターらに相談したところ、「仕事は生涯続けなければならないけれど、勉強はできる時にやっておかないとできなくなるよ」とアドバイスしていただき、私自身も興味がある外交をもっと勉強したいという気持ちもあったので、悩んだ結果、大学院への進学を選択しました。

 
 
 
大学院では、主に冷戦以降の新国際秩序や国際政治・金融・貿易の理論、現代におけるビジネス外交の力学についての授業が中心でした。そこで強く感じたのは、現在の国際社会の中で最も影響力のあるプレイヤーは、多国籍企業だということでした。

 私の学んだ大学院では、卒業生の概ね4割が外交官や官公庁、2割がNGO、そして残りの4割が多国籍企業へ就職していたのですが、就職を意識した時に私が一番魅力を感じたのは、グローバル企業でした。4年間の大学生活では、強いジャーナリスト志望だったのですが、大学院での学びを通じて、ぼんやりと自分がどんなところで仕事をしたいかが見えてきた、そんな感じだったと思います。

 
 
 
ちょうど就職氷河期と言われていた96年。大学院卒業年次に入る前の夏休みを利用して帰国し、就職活動を行いました。約40社程度の日本の企業へ応募したのですが結果は全て不採用。さすがにこの時はとても焦りました。

 友人に相談したところ、外資系企業に応募してみればと言われ、そこで初めて外資系企業という選択肢に気がつきました。グローバルに展開している企業を狙っていたのに、なぜか外資系企業へは応募していなかったんです。さっそくジャパンタイムスを買って、求人広告をチェック。新卒採用で財務部門の幹部候補生募集という、米国系グローバルメーカー、日本ゼネラル・エレクトリック(GE)の求人広告を見て応募したところ、無事採用となりました。それまでは、人事担当者の方とあまり話がかみ合っていなかったことが多かった気がしますが、GEの面接で初めて、私の大学時代の学びや経験、やりたい事などについて、興味を持って話を聞いていただけました。

 
 
 
当時のGEには、財務部門の中の4つの部署で6カ月ずつ2年間、ローテーションしながらエントリーレベルの業務を担当し、幅広いビジネスを経験していく『ファイナンシャル・マネジメント・プログラム(FMP)』というシステムがありました。このプログラムで採用された私は、入社後の数年間で財務関連業務全般の基本的な知識・スキルを実践を通じて身につけながら、同時に、大変充実した研修制度によって、1年目は管理会計、2年目はビジネス戦略・監査などについて、しっかりと学ぶことができました。その後の私のキャリアを考えると、このGEでの実務経験は、とても大きかったですね。

 半年ごとに東京、栃木、オランダなど勤務地をローテーションして2年経った後、99年に社内監査チームへ配属となり米国へ一時転籍。2000年の4月から、GEのプラスティック事業部が、アジアのヘッドオフィスをシンガポールから東京に移転することになり、そのプロジェクトのファイナンス部門へ異動となって、シンガポールへの長期出張を経験するなど、同社に在籍していた約4年間は、とても充実していました。グローバルに仕事ができる環境も理想的だったのですが、2001年3月にGEを退職しました。

 
 
 
実は学生時代に、1950年以降、多くのアメリカ人の政治思想に大きな影響を与えた人物として有名な米国の作家、アイン・ランドに傾倒していました。当時まだ日本で出版されていなかった彼女の代表作『肩をすくめるアトラス』を翻訳・出版できないかと出版社などに提案していた事があったのですが、2001年にその本を翻訳するチャンスに恵まれたんです。

 1998年のランダムハウス/モダンライブラリーの「アメリカの一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100で第一位、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「20世紀アメリカで聖書の次に影響力を持った小説」と紹介されるロングセラーで、約1,200ページにもおよぶ大作。会社勤務の片手間にできる仕事では無かったので、思い切ってGEを辞めて、翻訳に専念することにしたのです。

 この本の仕事の他にも、ラジオやWEB向けの翻訳業務を請け負って、2年ほど個人事業主として仕事をしたのですが、当初の目的だった『肩をすくめるアトラス』の翻訳が完了し出版のメドがたった時、再びグローバル企業で働くことを決断しました。もちろん個人事業にも魅力はあったのですが、私としては、色々な才能を持った個人が集結して、一つの大きなビジネスを成し遂げていく方に魅力を感じたからです。

 
 
 
エージェントを活用しての就職活動では、やはりファイナンス関連の業務の実績が評価され、英国系でグローバルにビジネスを展開している製薬会社、グラクソ・スミスクライン株式会社へ就職しました。財務・経営企画部門で移転価格政策の見直しや予算管理、財務分析などの業務を担当。2005年に、CPA(米国公認会計士)を取得し、さらにキャリアアップをしていくためにエージェントに相談したところ、ファーストリテイリングを紹介していただき、2005年に入社しました。

 
 
 
現在私は、グループIR部という部署に所属しています。IRは、市場がきちんと機能するためにとても重要な役割を担っています。会社の経営状態や業績について、広く公平に投資家や株主など、あらゆるステークホルダーに正確な情報を開示する仕事です。具体的な担当業務は、以下の5点です。

1)年4回の決算説明会の組立・運営・資料作り。
2)機関投資家への対応。
3)各種開示業務。
4)アニュアルレポートの企画・制作。
5)投資家や市場の声を分析し、経営に伝える。

2)は、当社に個別訪問してくる機関投資家からの、業績予想・客単価・出店計画・投資計画・生産体制などについてのご質問に対して、経営情報を過不足無くお伝えする業務です。海外の機関投資家に向けても、年に1回ずつ米国とヨーロッパへ交互に出張し、カンファレンスを開催したり、また機関投資家を個別訪問して、情報をご提供しています。

3)4)については、上場企業として義務付けられている適時開示に加え、生産部門(工場)・販売部門(店舗)など、社内のさまざまな部署を取材して、当社の考え方とビジネスを社外に伝える仕事。例えば「ユニクロはどういうこだわりを持ってモノ作りをしているのか」、「R&Dの着眼点は何か」、「世界からどういう素材を調達しているのか」などなど、経営情報の他にも、当社の将来・未来を予想していただくための情報を、アナリストや投資家の皆さんに向けて発信しています。

5)今の株式市場には、どういうプレイヤーがいて、株価を形成しているのは誰で、誰がどういう風に動いていて、プレイヤーがどう変化しているのか、また我々がどういう企業として見られているのか、この株価の根拠は何か、といった情報を経営トップと共有し、当社の成長エンジンは何で、当社の株式を安心して保有し続けていただくためにはどうすれば良いのか、配当性向は適切か、既存株主の利益を損なわない資金調達の手段とは、といったことについての議論をうながします。

 
 
 
私の得意分野は、ファイナンスを通じた経営計画、経営への関与、リソースアロケーションという部分なのですが、これまで勤務していた外資系企業の日本法人・日本支社での業務では、本社で決めた経営方針のインプリメンテーションが中心で、経営トップとの距離を感じざるを得ませんでした。現在やっている仕事は、IRなんですが、経営を間近でみることができ、やりがいを感じています。

 また、欧米の機関投資家から見ると、日本の株式市場というのは特殊で判りにくく、新興国レベルと思われている向きもあるようです。健全な株式市場の発展のためには、もっと企業が積極的に情報を外部に向かって開示していく必要があると思いますし、そのためにIRはとても重要な役割を担っています。私は現在の仕事をとおして、日本の株式市場の発展や、IRの充実、そしてもちろん当社の成長のために、少しでも貢献できれば嬉しいです。

 
 
 
いまの株式市場、金融システムというのは、ポートフォリオ理論、CAPM(資本資産価格モデル)なども含め、アメリカで発達した社会科学が基本になっています。ファイナンス分野の仕事に関わっている現在、学部のリベラルアーツから大学院の政治思想・哲学・歴史・経済まで、本場で学べたことはラッキーだったと思います。

 アメリカの資本主義の前提である、超合理主義・成長志向・未来志向というのは、世界の株式市場のスタンダードにもなっています。そのベースである米国文化に6年間どっぷりとつかることができたのは、大きなプラスです。グローバルな市場関係者の考え方が、肌感覚としてわかる気がします。

 また、「徹底的に、合理的に考える」というアメリカの大学の教育方針のようなものが自分の中に習慣づいており、常日頃から時事問題や経済の動き、自分の会社の商売動向をみながら、自分自身の視点を組み立てていくことに役立っていると思います。IRといいながらじつはプレゼンテーションなどは、まだまだ苦手なのですが、考える力、ポイントを見極める力は、大学・大学院の6年間でずいぶん養われたと思います。さらに外国で生活し、同時代の多様な歴史観や価値観に触れることで、時代認識を新たにするような部分もあったのではないでしょうか。

 
 
 
20代前半、キャリアのスタートの時には、そもそも世の中にどういう仕事があるのか、どんな分野がエキサイティングなのか、ほとんど知らない状態だと思います。そこをまず広げる努力をしていただきたいと思います。私自身、大学時代はジャーナリスト志望だったので、ファイナンスという仕事の分野も知りませんでしたし、その仕事に自分が携わることなど想像もできなかったのですが、今、ものすごくエキサイティングに仕事を楽しむことができています。

 皆さんも、まず自分の可能性を広げる努力をして、少しでも関心のある分野が見えた時には、ともかくチャレンジしてみることが大切だと思います。