1990年3月
神戸大学卒業
 
スキー部に所属。主将を務める。
 
 
1990年4月
大手家電メーカー入社
 
 
 
 
1991年9月~92年5月
クイーンズ大学
 
入社2年目。海外トレーニーでカナダへ。専攻:MBA
 
 
1995年
長野のスキー場近くのホテルで住み込みで働く
 
 
 
 
1997年9月
半導体製造装置メーカー入社
 
 
 
 
2000年7月
日本駐車場開発株式会社、経営参画
 
 
 
 
2005年12月
日本駐車場開発の100%子会社、日本スキー場開発株式会社を設立
 
同社の代表取締役社長に就任。日本駐車場開発株式会社、副社長 兼 日本スキー場開発株式会社、代表取締役社長。現在に至る。
 
 
 
 
神戸大学スキー部所属。スキー部では主将を務めていました。また、スキー同様、海外にも興味があり、大学3年の時には一人で一ヶ月ほどアメリカに貧乏旅行へ行きました。そこで日本人の旅行者と出会い、英語で話しかけたら、「大阪の人ですか?」って。英語だろうと、イントネーションで関西人だとわかったらしいのです。自分の英語がなぜ現地の人に通じなかったのかが判明しました(笑)。それでもこの旅行で多くの人と触れ合い、日本語だけでは1億2000万人程度としかコミュニケーションが取れないのに対し、英語を使えて、海外へ行けば、より多くの人と接することができる。そのことにとても魅力を感じました。ちなみに、海外への興味は、「オレゴンから愛」というテレビドラマが大好きだったことと、カルガリーオリンピックのテレビ中継で見た、カナダのスキー場の雄大な景色に感銘を受けたのが発端です。大学時代は、海外へ行ける仕事という理由でパイロットを志望。今考えれば、明らかに「格好いい」という憧れが先行しての選択でしたが、当時は何の疑いもなく、卒業論文も航空業界について論述をまとめました。自分は将来パイロットになるものだと当然のように思っていました。

 
 
 
大手航空会社に応募し、パイロット試験も通過。選考も順調に進んでいたのですが、ある日空港で、空へ飛び立つ飛行機と、周りを走るトラックを同時に見たとき、ふと我に返ったのです。飛行機とトラック、姿形は違うのですが、運転、操縦をして何かを運ぶという点では同じ。運転・操縦する者にとって両者は、空を飛ぶか、飛ばないかの違いしかないのではないかと。そう考えると、パイロットが急に魅力的ではなくなりました。自分はパイロットになって何がしたいのか。私の志望動機には「目的」の部分がポッカリ抜けていることに気付いたのです。私が就職活動をしていた時期はちょうどバブル期。どの業界も活況だったため、就職について深く考えず、憧れだけで職業選択する学生も多くいました。そして、自分もその中の一人だったことに気付いたのです。海外へ行ける仕事というだけでパイロットになるのは、いくらバブルだからといってもさすがに安直すぎる。一旦、就職活動を白紙に戻して、もう1年かけてしっかり考え直そうと思いました。

 そんな時、先輩から自分が働いている大手家電メーカーを受けてみないか、と声を掛けて頂きました。家電の販売や営業という仕事には正直それほど興味はなかったのですが、当時から将来は何か大きい仕事に携わりたいと思っていたこともあり、大きい組織の中に入った時、自分がどれだけ活きるのか、活かすことができるのか、それを推し量るチャンスだと、また、試してみたいと思いました。先輩にさらに詳しく話を聞いてみると、その会社には入社2年目に海外トレーニー制度があり、志願して任命されれば2年間海外研修を受けられるとのこと。大組織の中で自分を試せ、さらに海外へ行くチャンスもある。このことが決め手となり、同社に入社しました。

 
 
 
この大手家電メーカーには約6年間在籍。営業・販売やマーケティングスキルをみっちり修得しました。そして、海外展開も行なっている大手家電メーカーから、私が次のステップに選んだ仕事は、長野の山奥、スキー場近くのホテルでの住み込みの仕事です。

 大手企業から長野の山奥への転職。事の発端は、家電メーカー入社2年目に行った、海外トレーニー時代に遡ります。私がトレーニー先に選択した国はカナダです。実はカナダへは、パイロットへの志望をやめ、就職活動を白紙に戻した時から行こうと決めていました。この家電メーカーへの入社を決めたのも、トレーニー先にカナダがあったことが後押しとなりました。私は高校・大学とスキー部に所属していました。カナダに行きたかった一番の理由は、スキーがしたかったということなのですが、自分の将来について考えようと思った時、日本という狭くて人口が密集している国で考えるよりも、世界で2番目に国土が広く、人口は約2,400万人。日本と正反対の広大な大地の元で自分と向き合った方が、自分の本当にやりたいことが見つかるのではないか。そんな気がしたのです。実際、このトレーニーの期間中に、自分の将来に対して心境の変化がありました。この家電メーカーの海外トレーニー制度は、1年目は大学で語学等を学び、2年目は現地の支店で実務をこなすといった内容でした。私は1年目、クイーンズ大学に通いMBAを専攻。同校ではスキー部に所属しました。そして、日本とはスケールが違う大自然の中でスキーをしてみて、再確認したのです。自分はやはりスキーが好きだということを。将来は何かしらの形でスキーに関わる仕事がしたいと思いました。これが、長野行きを決めたきっかけです。

 
 
 
住み込み先のホテルでの主な仕事内容は、ホテルの調理補助や薪割り、雪かきなど、雑務全般でした。仕事以外の時間はスキーとゴルフ三昧。私は、興味を持ったことは何でもやっておいた方が良いと考えているため、まだ若いうちに、一度この生活を送ってみたかったのです。もしかしたら、もっと歳を重ねてからスキー場関係の仕事に就きたくなるかもしれない。しかし、その時に家族がいたら、田舎に移り住んだ挙げ句、やっぱり合っていなかったということになったら、家族にも迷惑がかかるだろうなと。一人身の間に一度、田舎と雪国生活の経験をしておこうと思ったのです。

 大好きなスキーが身近にある生活は、とても楽しかったです。しかし、同時に物足りなさも感じました。働きたくないという気持ちは毛頭ありませんでしたし、むしろ大きい仕事に携わりたいという気持ちは長野に来てから、より大きくなりました。そして半年くらい経ってからでしょうか。英語で会計の勉強を始めました。もし今後、都会に働きに戻るとして、その時に影響力を持って仕事をするためには、お金のことをもっと知っておく必要があると考えてのことです。それに、せっかく身に付けた英語を、このまま使わないのはシャクでした。この時は時間もありましたので、どうせなら英語で勉強しようと。山奥での住み込み生活を続けながら黙々と勉強して、約2年後、US CPA(米国公認会計士)資格を取得しました。この頃は、ちょうど個別決算中心から連結決算中心に移行し始めていた頃で、US CPA取得者が求められていた。都会に稼ぎに戻るか(笑)。長野の山奥から脱出です。

 
 
 
この後、連結子会社約30社を持つ半導体製造装置メーカーに入社し、連結決算に携わりました。約20社の海外子会社も担当させて頂き、海外と繋がりを持って仕事ができました。そして2000年7月、現職の役員(当時)からの誘いを受け、日本駐車場開発に入社しました。

 誘いを受けるまで、駐車場のビジネスなんて1秒たりとも考えたことはありませんでしたし、駐車場の良いサービスなんて想像をしたこともありませんでした。ただ、話を聞くと、これはまだまだいくらでも可能性があると強く感じました。

 大きなビルを建設する場合、ビルの延べ床面積に応じて駐車場を備え付ける必要があります。これは条例で定められています。そのため大きなビルには、駐車場の必要、不必要に関わらず必ず駐車場が備え付けられているのです。しかし、ビルのキーテナントが、例えばIT系企業のように業務車両があまり必要のない企業の場合、備え付けの駐車場は誰にも使用されず、空いたままになっている。その一方で周りの路上に目を移すと、多くの車が違法駐車をしている。このように需要があるにも関わらず埋もれてしまっている駐車場を開放して、必要としている人に借りてもらう。ビルの収益もサービスも上がるようにプロデュースするのが、日本駐車場開発の主な事業です。ひと言で言うと、世の中の空いている駐車場を有効活用している企業です。

 当時は従業員も20人くらいしかおらず、業績もそれほど良い企業ではなかったのですが、誰もあまり関わったことのない駐車場というマーケット。さらに、これからもっとビルも増えるだろうし、駐車場での新しいサービスも展開できるかもしれない。ぜひ一緒にやってみたいと思いました。

 
 
 
当時はまだ知名度も低く、会社としての信用度も十分ではなかったので、どのビルのオーナーさんも、例え空き駐車場があっても、私たちには貸してくれませんでした。A社の空き駐車場を、駐車場が必要なB社に紹介。その時の紹介手数料で売上を作る手法が精一杯でした。それが今では東証一部上場を果たし、実績に信用も加わりました。ビルのオーナーさんから空き駐車場を一括して賃借させて頂いて、ウチから直接契約で、企業に提案して営業車両用に借りて頂くですとか、個人の方でもインターネットから申し込んで契約頂くですとか、色んな手法で貸し出すことが可能になりました。さらに、駐車場での良いサービスを提供していくことで、ビル全体の付加価値を上げていくためのオペレーション・サービスも展開しています。例えばドアボーイのように、ドアの開閉をサービスしたり、駐車しにくい立体駐車場でお困りの方には、入庫の代行をサービスしたりして、駐車場の新しい価値を創出しています。

 
 

H19.12.31 ゲレンデの中のカウントダウン花火

今から3年前、日本駐車場開発の100%子会社、日本スキー場開発を設立しました。駐車場のように埋もれてしまっている素材が他にないか。「再生」という観点でさらに視野を広げた結果、浮かび上がったのが、スキー場の再生だったのです。私から取締役会に持ち込み、そこで事業展開のGOサインが出ました。これは、昨今スキー場の経営が苦しいと。それならば、駐車場のオペレーションで、駐車場に新しい価値を創出したように、スキー場も自分たちでオペレーションし、良いサービスを提供することで、スキー場の新しい価値を創出することはできないかと始めた事業です。現在は長野県のサンアルピナ鹿島槍スキー場を運営し、2シーズンが経過したところです。スキー場にゲレンデを眺望できる入浴場やリラクゼーションサロンを併設したり、ケーキ早食い競争や年越しカウントダウン花火などユニークなイベントを開催したり、スキー以外のサービスも充実させ、丸の内からスキー場まで無料バスを走らせるなど、スキー場の新しい価値創出に努めています。また、シーズンオフの夏場は、バーベキュー場やトレッキングコース、夏フェスの会場として、ゲレンデを有効活用しています。

 長野にこもっていた時は、まさか自分がここまでスキー場の再生ビジネスに関われるとは思ってもみなかったです。駐車場という素材に巡り合い、そこで一生懸命やってきたからこそ、違う素材にもチャレンジできたのだと思います。

 ウチの若い社員達も、結構色々考えているみたいですが、日本にはまだまだ埋もれている素材が必ずあると思います。弊社は、社員ひとり一人が自ら仕事を創り出し、考えて実践していくことで成長してきました。下からの提案にしっかりと耳を傾け、熱意を持った人に仕事を任せるのが社風です。今後もっと「日本○○開発」が増えていくよう、今は若手社員達から、新しい、面白い提案が上がってくるのを楽しみに待っています。

 
 
 
海外展開に関しても、可能性があると考えています。海外は基本的に土地が余っているので、立体駐車場も少ないのですが、例えば上海や香港など、このまま都市部への一極化が進めば、近い将来、必ず駐車場が不足する事態が発生すると思います。駐車場のコンサルティングは一朝一夕ではなかなかできるものではありません。そんな時は日本で培ってきたノウハウから、弊社がアジア、そして世界におけるイニシアティブをとれると思っています。


 今年から外国人採用を始めました。これは海外展開をにらんでということもありますが、それ以上に、色々な人材がいた方が会社として強くなると考えてのことです。強い会社になって、長く成長できる会社にしていきたい。それが私の目標です。ウチの役員はみんな、この会社に来て、とても良い経験をしていると思っているはずです。上場一つをとってもそうですし、海外へ出て行くチャンスがあったり、海外の投資家へのIR回りの機会があったり、違う素材にチャレンジする機会もあります。個人で商売を始めて、いきなりこれらを経験するのは難しいですが、弊社はこういう機会を与えられる会社だと思います。そして、後から入ってくる人も、同じように良い経験をしてほしいし、提供してあげたい。そのためにも、強く長く成長できる会社を作っていきたいですね。

日本駐車場開発株式会社
本社:大阪府大阪市中央区北浜3-7-12 東京建物大阪ビル
勤務予定地:東京、大阪、LA、マレーシア 他
会社URL:http://www.n-p-d.co.jp/
採用情報はこちらから⇒ http://www.n-p-d.co.jp/recruit/

 
 
 
 

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