1991年
アメリカ国際大学
 
専攻:ホスピタリティ
 
1995年4月
株式会社H.I.S.
 
新宿No.1営業所 配属
 
1997年5月
新宿No.1営業所 副主任
 
1998年9月
関内馬車道営業所(現:関内駅前営業所) 所長
 
1999年11月
本社社長室(現:経営企画室)主任
 
2000年11月
本社社長室 係長代理
 
2002年5月
本社社長室 係長
 
2004年11月
本社経営企画室 課長代理
 
2005年5月
本社経営企画室 室長代理
 
2008年4月
本社経営企画室 室長。現在に至る。
 
 
 
 
H.I.S.に入社して、今年で14年目。アメリカに留学してからは、もう18年も経ちます。留学も、H.I.S.への就職も、私が歩んできた道というのは、一貫して旅行というもので繋がっているのですが、これは、初めて自分の将来や就職について考えた時、「好きなことを仕事にしよう」という結論に辿りついたことに起因します。就職して企業に属することになれば、それは生涯における自分の時間の多くを拘束されることになる。その膨大な時間を、仕事は仕事と割り切り、言わば時間のバラ売りをして対価を得るという働き方は、非常にもったいないことだと考えたのです。どうせ膨大な時間を拘束されるのであれば、自分の好きなことに費やしたい。そう考えました。私の場合は、それが観光であり、旅行だったわけです。

 幼い頃から父親と一緒に日本中を旅していたこと。オーストラリアで開催された、ボーイスカウトの世界大会に出場していたこと。これらの影響もあり、私は元々旅行や観光に大変興味がありました。将来は観光関係の仕事に就きたい。そのために、大学では観光を学ぼうと考えていました。ただし、初めから留学することを決めていたわけではなく、高校在学中は日本の大学への進学を希望していました。結論から言いますと、この時の大学受験に失敗してしまったこと、これが留学のきっかけとなります。当時、日本で観光学部が設けられていた大学は、私の知る限り1校しかなく、高校3年生の時は、その大学1校に絞って受験しました。しかし、結果は残念ながら不合格。それでも観光学部で勉強したいという思いに変化はありませんでした。そして、一年間浪人して、再び同じ大学の観光学部を受験しようと準備を進めていた時、何かのきっかけでふとアメリカの大学を調べてみたのです。すると、観光学部のある大学が数多くありました。観光を学ぶのに、日本にこだわる必要はない。チャンスがあるのならば、海外へも挑戦してみたい。そう思い、当時は英語が苦手でしたが、観光を学ぶこと、そして「海外」への憧れから留学を決意しました。それから約一年近く必死で勉強して、アメリカ国際大学(現:アライアント国際大学)の観光学部に留学。現地で接客や、時には料理まで、観光サービスの実務を学びました。

 
 
 
自分の好きなことを仕事にしようと思っていましたので、就職活動では、旅行会社とホテルに絞って受けました。いくつかの企業の中からH.I.S.を選択した理由は、H.I.S.がやっている海外の自由旅行に関して、私自身の見解と重なる部分があり、すごく共感を持てたというのが1つ大きくあります。私はアメリカに留学中も、自分で車を借りて、リュックサック一つで、色々な場所に小旅行をしていました。海外が個人旅行で十分遊べて、楽しめるということを、自分で実際に経験していたのです。そのため、H.I.S.が得意としていた海外の自由旅行というのは、自分の海外旅行のスタイルに近く、共感できたのです。そして、当時のH.I.S.は「格安航空券屋さん」と呼ばれており、世間からはまだ旅行会社とはまだ認知されていなかったのですが、面接の時に「近い将来、日本を代表する旅行会社になる」という、上昇志向の強さと、勢いを感じることができました。これもH.I.S.を選択した大きな理由でした。

 
 
 
入社して最初に配属されたのは、「No.1トラベル」という、日本に住んでいらっしゃる外国人のお客様を専門としている営業所でした。電話を取ると、お客様はほとんど外国人。お問い合わせも全部英語で対応していました。H.I.S.の中では特殊な営業所で、入社後すぐに留学経験を実務として活かせました。外国人のお客様は、実家が海外ですから、日本人のお客様よりも海外に多く出ます。そのため、一年で何回も利用して頂けることもありました。しっかりと手配して差し上げれば、その後も繰り返し利用して下さるお客様が多くいらっしゃるのです。この経験から、旅行の手配では、お客様のことを考えて提案することが最も重要なのだと学びました。そしてこれは、留学していたことで語学力があったからこそ、経験できたことだと思います。

 また、外国人のお客様以外にも、日本人のお客様から予約を頂くこともありました。「No.1トラベル」はパッケージツアーは扱っておらず、航空券手配が主な業務となります。そのため、日本人のお客様は、航空券だけで自由に海外旅行を楽しみたいという方や、海外留学をする方々が多くいらっしゃいました。この時は、私がアメリカ留学中にリュックサック一つで旅行した経験が役立ちました。例えば、アメリカ行き航空券を希望するお客様には、自分の経験をそのまま提案することができたのです。また、メキシコでパスポートを失くして大変な思いをした失敗談など、私の自由旅行体験は、お客様にご好評頂き、コミュニケーションを取る上でも、非常に役立ちました。同営業所に勤務した約3年間は、留学経験が自分の強みとなり、自信を持って働くことができました。元々好きな旅行を仕事にしていたので、営業所での仕事は非常に楽しく、やりがいを感じて過ごしていました。

 
 
 
現在は、経営企画室(元、社長室)室長として、新規プロジェクトの立案、展開、広報活動やIRなどを行なっています。お客様と接してきた店舗での仕事とは、全然違う業務です。私も今年で入社14年目ですし、責任のあるポストにも就いていますから、今は楽しいとばかりは言っていられません。ただ、それでも楽しいこと、やりがいを感じることはもちろんあります。それは、自分でプロジェクトを動かせる、または直接提案できるということです。今弊社では、旅行という枠を超えた、新しい試みを始めています。それを直接提案できるポジションにいることは、自分の可能性を無限に広げることが可能だと思っています。

 例えば、数年前からモンゴルの企業と共同で、チンギス・ハーンの騎馬隊を再現しようというキャンペーンを展開しています。500人くらいの軍人さんに協力頂き、昔の装束をまとって馬にまたがり、大草原を舞台にショーを開催しているのです。この企画も私の部署で担当しています。これは、新しいディスティネーション(目的)をもっと作っていきたいということで始めました。モンゴルといいますと、恐らく草原や乗馬というイメージを持たれていると思いますが、では、草原と乗馬以外に何があるのですか、と言われると言葉に詰まってしまう。お客様を誘致するには、当然その国の潜在的な観光要素というものも必要なのですが、モンゴルの場合ですと草原と乗馬以外に押す要素がなく、それだけではお客様を誘致するのには弱かったのです。このような場合、自分達で何かを作り出すことによって、新しい要素を生み出すことができるのではないかと考えたのです。例えば食事や、宿泊するホテルもそうです。色々な要素があって、初めて複合的な魅力あるディスティネーションに変わっていくのだと思っています。モンゴルには大草原という世界で唯一という要素はあるのですが、ただ、それだけしかお客様に訴求する要素がない。そういった中で、騎馬隊のショーのように二つ目の要素を自分達で作り出していく。旅行会社の枠を超えた、新しい旅行の形を自ら作り出していく仕事に、今はとても魅力を感じています。

 
 
 
今後のH.I.S.は、さらにグローバルな展開をしていけると考えています。日本の旅行スタイルというのは、アメリカともヨーロッパとも異なるものです。アメリカは英語という共通言語を持っているため、言葉の不安というものがほとんどありません。ヨーロッパの1ヵ月バケーションという旅行スタイルとも趣きが違います。このような中で、現在H.I.S.が日本で成功できているスタイルは、アジア諸国のような日本と同じニーズのある国であれば展開を拡げていくことができると思っています。そのような状況下でH.I.S.のグローバル展開には、今後、第3国との間における言葉や文化などの色々な問題が出てくるでしょう。その時に、日本がスタンダードではなく、少しイレギュラーなんだとわかっていれば、海外の色々な文化や常識を自分の中に取り込むことができます。そのような人材は、今後のH.I.S.にとって必ず必要になってくると思います。

 私の仕事のステージはキャリアとともに変わっていきますが、この先もまだまだ可能性があって、楽しみは尽きません。