1999年~2002年
ギャラリー勤務
 
 
2002年
ケント大学
 
専攻:美術史および美術論
 
2006年
美術系出版社
 
 
2007年
株式会社川村インターナショナル、現在に至る
 
 
 
 
 
美術史および美術論を学びにケント大学に留学したのは、25歳の時です。高校卒業後、4年間のフリーター生活、2年間のギャラリーでのアルバイト経験を経て、留学しました。

 高校の時から美術に、美術といっても私の場合は、創る方ではなくて鑑賞の方、美術の歴史や哲学に興味がありました。しかし、高校卒業を目前に控え、美術が好きだけど、では、どうすればいいのか。当時はその手段がわからなかったんですね。それで気付けばフリーターに。働いていたのはカフェとか雑貨屋。美術とはまったく関係のないところで働いていました。この頃は何をしていいのかわからない、そんな時期でしたね。

 そして、その生活を続けて4年くらい経った時、私の人生を変える大きな転機が訪れました。知人の紹介でギャラリーで働けるようになったんです。美術に関する仕事がやりたいんだ、と知人に相談したら、それなら紹介してあげるよ、って。本当にラッキーでした。ギャラリーで働いているうちに、ますます美術に対する興味が高まり、真剣に勉強したいと思うようになったんですね。大学受験はしていませんでしたが、元々、興味があることに対する勉強は嫌いじゃなかったんですよ。それで、どうせ25歳にもなって勉強するなら、日本で勉強するより本場で勉強した方が楽しいだろうなって。留学を決めました。

 私は美術の中でも、特にヨーロッパ、西洋の美術に興味があったんですね。英語が得意だったわけではないのですが、イギリスは学問に力を入れているし、留学もしやすいという話を聞いていて。それでイギリスにしようと。知人に、イギリスに在住している方を紹介して頂いて、そういう援助があったこともあり、イギリスに決めました。

 
 
 
留学先に選んだのはケント大学。専攻は、美術史および美術論です。私は、美術の哲学に特に興味があったんですね。専攻に「セオリー」という言葉が入っていたから、この大学を選んだようなものなんです。留学1年目のファンデーションコースでは英語の勉強にとにかく苦労しました。大学から一歩出れば、現地の人に人種差別にあって嫌な思いもしました。授業でもエッセイとプレゼンテーションのためだけに生きているという感じで、とりあえずエッセイを書けと、プレゼンテーションしろと大変でした。それでも、実際本場に行って美術を習えたことは素晴らしかったです。本場なのだから当たり前なのですが、持ち運ばれたものではなく、そこで創られた美術品がごく自然な形で展示されていることに感銘を受けました。そして、美術館の入館料が無料だったり、美術が人々のとても身近なところにあって、私も美術を鑑賞することがすごく自然になりました。教授にも恵まれたと思います。議論も対等の立場でしてくれましたし、ロンドンのギャラリーをはじめ、授業として色々なところへ見学に連れて行ってくれました。

 中でも最も印象に残っている授業があります。ロンドンのブリティッシュミュージアム(大英博物館)。そこの中に、研究生というか、勉強のためじゃないと入れない場所があるんですね。うちの大学が勉強のためだと申請してくれて、中に入れてもらうことができたのです。そこにはミケランジェロのデッサンとか、一般公開されていないものがたくさんあって、それを実際に見ることができたんですね。教授が白い手袋をして、丁重に扱っていて、指紋もつけられないみたいな。大英博物館は絵画を扱っているところではなく、どちらかというと本とかデッサンとか、歴史的資料の方が多いところなんです。それらを取り出して手に取ることができる。もう言葉にならなくて。ただただ、スゲェ、スゲェと思っていました。こんな貴重な体験ができて、留学して本当に良かったと思います。

 
 
 
就職活動を本格的に始めたのは、日本に戻ってきてからでした。向こうで働けるものなら働きたかったのですが、ただ情報がなくて。留学中も、留学生のための就職フォーラムには何度か参加していたんですけど、やっぱり無いんですよね。美術に関わる仕事なんて。自分の中には、「25歳にもなって留学したのだから、最後までやりたいことで何とかしたい」という想いがあったんですね。だから、自分にとって働く場所は関係なくて、それよりも職種を選びたかった。日本に戻ってからギャラリーを回ろうとか考えていました。

 しかし、実際日本に帰って来てみると、本場とのギャップを感じたというか。面白い美術館とかはもちろんあるんですよ。何個か新しい美術館もできましたよね。そういうのはもちろん面白いとは思うんですけど…。日本では、美術が自然の形で存在していないように感じたんですね。それと、日本のギャラリーで正社員として働くには、どこでも学芸員の資格が必要だったんです。その資格は日本の、そのコースがある大学に行けば、普通に授業を受けて、インターンをやれば、卒業するだけで取れる資格なんです。でも逆に、海外の大学を出てしまうと、年1回のテストを受けて、合格しないといけない。本場で美術を学ぶために行った留学が、ギャラリーで働く上では、すごい遠回りになってしまったのです。何かそういうシステムもあって、あまり魅力的じゃなくなったって言ったら変な話ですが…。もちろん今でも美術は好きなんですけど、ギャラリーで働くということに関して、あまり魅力を感じなくなったんです。

 そして、 「美術」というものへのこだわりだけで、仕事内容が電話営業だったにも関わらず、美術系の出版社に入社してみたのですが、営業職。これはやっぱり違いました。そもそも、自分の美術に対する本当の意味での興味というのは、美術品の背景にある文化だったりコミュニケーション的な部分にあるんですね。少し専門的な話になるかもしれませんが、例えば絵画は「世界共通の言語」ってよく言うじゃないですか。これって要は言葉を必要としないコミュニケーションなんですよ。それと、西洋美術だったら西洋の文化、例えばキリスト教だったり、美術というのは文化と繋がっているんですね。私は美術が持つ、このコミュニケーションと文化の繋がりが好きなんです。そして自分は、この文化とコミュニケーションを繋ぐ仕事がやりたいと思っていたんですね。

 本来の自分の興味を見つめ直し、自分のやりたいことを考えてみたら、翻訳はまさに自分が求める仕事にピッタリだったんです。英語の文章が、日本語で、日本人の発想で書かれた文章になる。これって文化やコミュニケーションを繋げる仕事だと。自分の中では、美術だったり、コミュニケーションだったり、文化というものの関わりから、さらに範囲を広げた仕事に就くつもりはありませんでした。幸い留学経験を経て、英語も話せましたし、翻訳という仕事に大きな魅力を感じ、転職サイトを利用して現職の求人に応募しました。

 
 
 
現職ではコーディネーターをメインとして、翻訳業務のプロセスすべてに携わっています。弊社にはコーディネーターにスペシャライズした人間もいれば、チェッカーといわれる、翻訳者が上げてきた翻訳、製品をクライアントの希望に適っているかというのを、確認する工程のスペシャリストもいます。他にも翻訳者、DTP、各方面のスペシャリストを揃えているんですね。その中でも自分が主にやっているコーディネーターは、コミュニケーションがメインの仕事です。翻訳の作業のプロジェクトをクライアントから頂いたあとに、それの納期だとか、翻訳者とかを調整してプロジェクトを管理する。それで翻訳された原稿、レイアウトを整えて出すという、製品に仕上げるまでのコーディネートをメインにやっています。

 クライアントさんから褒められた時はもちろん嬉しいですし、パートナーに「一緒に仕事をしていて楽しい」と言って貰えたり。翻訳のコーディネーターって、すごい細かいところまで気を配らなきゃいけないんですけど、そういうところで感謝して貰えると嬉しいし、やりがいに感じています。

 
 
 
私は、翻訳者としてベストな人は、日本で大学受験的な英語、文法だったり、そこ をしっかり勉強していて、しかも海外留学経験 がある人だと思っています。書かれた『外国語』を理解するには、 やっぱり文法の理解が1番重要なんですね。私の場 合は文法的な部分がまだまだなので、これから 勉強しないといけません。

 でも、留学経験は確実に活かせていますよ。これは自分の勝手な想像かも知れませんが、留学経験を通して、おぼろげながらも、英語のルールの根元みたいなものが理解できたと思うんですね。文章には、そう書かれた意図っていうのが絶対にあるんです。それは英語の考え方に従って、主語・述語とか、語順が決まっていて、日本語もそうですよね。そういうルールみたいなのが、何でこうなのかというのを、留学しておぼろげながらも、私は感じたんです。「I」から始まらなくてはならない。「You」から始まらなくてはならないみたいな。この人達には絶対に主語が必要なんだなっていう。海外の人達は、そういう生活をしていると感じたんです。あの人達には、まず「個人」というのがある。例えば神様。向こうの神様って、一人の神様と自分との関係じゃないですか。でも、日本はどちらかというと言うと、神様の中で自分が生きているっていうイメージがないですか? 森だったら、全部に精霊みたいなのが宿っているみたいな。「集団の中の自分」と言ったらなんか、すごく赤く染まったみたいな感じで嫌なんですけど。例えば日本では「空気読め」とか言いますよね。良い悪いじゃなくて、昔からの感覚としてこういう風習があるんだと思うんですね。自分と外との接し方っていうのが。日本はまず、自分を取り囲む世界があって、その中に自分が入っているという感じなんですけど、海外だと、自分から始まって、世界ができていくというか。動き方で世界が広がっていくみたいな感じがありませんか。言葉とかも、そういうのを含んで出来上がっているのかなぁなんて。こういう言葉の本質を考えながら翻訳すると、文章の意図が見えるのかなぁ、なんて勝手に考えています。

 もっと実務的なことでいうと、ネイティブと実際に話していると、どんなニュアンスを持つ言葉なのか、文字だけではわからない部分。喋ってて嫌そうな顔をすれば、嫌なことを言ってるんだろうなってわかるじゃないですか。この言葉はそういう時に使う言葉なんだなって。特に大学の先生はカチッとした言葉で話すんで、それは英語の文章を翻訳する時に非常に役立つんです。実際にビジネス文章でも使われるような単語が出てきた時に、どんなニュアンスで言っているかっていうのを、留学中にある程度経験してきたところとかは、直接的に実務に活かせていると思います。

 
 
 
現在やっている仕事で、リライトと呼ばれる、 翻訳者さんが翻訳した文章をより自然な日本語 に書き直すという工程があるんです。まずはそ こで独り立ちできるくらいになりたい。 今は日本にいて、他人に発信しているものを作っているんで、やっぱりその相手が日本語を読むのであれば、日本語に今まで以上にもっともっと力を入れて、やっていきたいと思っています。

 よく、日本語は特殊だと言われますが、そうは思いたくないというのが、まずあるんですね。なんか言い訳っぽくて。実際問題、弊社では日英、日本語から英語という翻訳もやっているんですね。日本語の文章をネイティブの翻訳者さんに英語文に翻訳してもらうと、もうパッと見て、すごい綺麗な言葉で上がってくるんですね。でもこれって、プロなのだから当たり前なことだと思うんです。でも、英語が日本語になった時は、必ずしもそうはならないんです。日本人が日本語に翻訳するので、みんなネイティブなハズなのに。それでも、すごいヒドイのが出てきたりする。英語に出来上がったときの当たり前というのが、日本語になったときにはないんですね。これが特殊だから、というのは言いたくないんですよ。もちろん、日本語は表現方法も豊富だし、英語とは違うんですけど、日本語から英語があんなにできるのなら、逆もできるんじゃないかなって。

 日本語の能力を磨くには、やっぱり読書量。もっともっと読書量を増やして、いい文章をいっぱい読んでいきたいです。そうすれば、変な文章に出会った時に、自然に「あれっ?」て思えるのだと思います。翻訳者としても、早く一人前になりたいですが、その前にリライト。好きで始めた仕事なので当たり前かも知れませんが、現状として、今の翻訳という業界に対して不満はまったくありません。私はやはり、いつまでも文化とコミュニケーショ ンを繋ぐ仕事に関わっていたいと思っています。