1987年
カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校 経済学部
 
 
1988年
KPMGピートマーウィック会計事務所(アメリカ)
 
 
1990年
日本長期信用銀行(現・新生銀行)
 
 
1992年
ファノス株式会社
 
米子会社Tarans Pacific Film,Inc.CFO就任
 
1997年
ハーバード大学 経営学部修士課程
 
 
1997年
株式会社イー・ストリート・ベーグルズ
 
 
2000年
インターネットキャピタルグループ株式会社
 
 
2001年
アップスタート株式会社
 
 
2008年
タッチストーン・キャピタル証券株式会社、現在に至る。
 
 
 
 
 
父親の仕事の関係で2歳の時にアメリカへ渡り、それから25歳で日本に戻ってくるまでの23年間、向こうを拠点として生活をしていました。小学校も中学校も高校も現地の学校。そのため、UCLA(カルフォルニア州立大学ロサンゼルス校)に通ったのも、そのままの自然の流れでした。物心が付いた時からアメリカに居たので、言葉や文化の違いに苦労した、ということはないんですよ。私の場合、逆に日本へ戻った時に、アメリカとのギャップに驚かされました。

 子供の頃、日本へは夏休みに3年に1回くらい帰国していたほか、中学の時に2年間、やはり父親の仕事の関係で戻ったことがありました。アメリカで生活中、両親とは日本語で話していましたが、兄弟とは英語。外でも、もちろん英語ですから、使用する言語は圧倒的に英語の方が多かったんですね。日本へ戻った時、先生や友達が話す言葉はある程度理解はできたものの、しゃべる方は全然ダメ。もちろん漢字も全然読めませんでした。そして、言葉の問題以上に、カルチャーショックがすごかった。私が通うことになった学校はとにかく規則が多くて、男子はみんな丸坊主。みんなで同じ制服を着て、靴の色も「白」と決められている。そんな決まりがあるなんて思ってもみなかった私は、ナイキの赤いスニーカーを履いていたんですね。そうしたら先生に注意されてしまい、結局、白く塗るハメになってしまって(笑)。小さい頃から自由だったアメリカでは考えられなかったことの連続。毎日がギャップの積み重ねでした。この時は、まさか自分が将来日本で働くとは思ってもみなかったです。現にこの時も、やはりアメリカが良くて、親を置いて先にアメリカに戻ってしまいました。当時は、将来はアメリカで生活しようと考えていましたね。

 
 
 
そのため、大学を出て最初に働いた会社はアメリカの企業でした。KPMGピートマーウィック会計事務所という、アメリカでは大手の会計事務所です。正直、ファイナンスにはまったく興味がなく、数字にも、金融にも興味はありませんでした。しかし、学校で一貫して、会計を勉強すれば、ビジネスの全容がある程度理解できると教えられていたこともあり、会計というのがビジネスの基本だと考えていました。だから、まずはそこを習得したかったというのが理由です。UCLAを卒業した頃には、進む道としてはビジネスをやっていきたいと決めていましたし、その時点で、まずは会計を勉強しよう、ということで固まっていました。それと、アメリカの公認会計士の試験があるのですが、それに合格していたということも後押しになったと思います。この資格は筆記試験に合格しても、その後2年間の実務経験を積まないと資格がもらえないのです。

 アメリカの場合は就職活動に時期的なことがなくて、会社はいつでも募集しているし、レジュメを送ればいつでも検討してもらえる。大手の会計事務所をピンポイントで3社だけリストアップして、レジュメを送って、面接してもらい、入社が決まりました。社会人になっても最初の数年は勉強だと。それは、社会人になる前から思っていました。

 
 
 
KPMGピートマーウィック会計事務所では、日本企業のアメリカ進出のお手伝いなどをしていました。日本企業が相手だったので、日本人のお客さまと接することが多かったんですね。そこで痛感したんです。自分の日本語の理解度のなさとか、自分が日本の会社のカルチャーをいかに知らないかを。日本人なのにこれではダメだと思いました。ちゃんと日本のことを勉強しようと思っていた時に、当時の日本長期信用銀行(現・新生銀行)から、1年間でもいいから働きに来ないかと声をかけて貰い、1年間限定でお世話になることに決めました。これが日本に戻ってきたきっかけです。

 当初は本当に1年間でアメリカに戻るつもりだったのですが、結局それから今日までの十数年、日本にいます。最初は勉強のつもりで日本に戻ってきたものの、日本を知るほど、ここでビジネスを仕掛けた方がチャンスがある、と考えるようになりました。日本における自分の価値は、英語ができること以上に、アメリカの習慣を知っていることで、「ちょっと違う観点から物事を見られること」にあると感じたのです。日本のビジネスのやり方とアメリカ・西洋のビジネスのやり方とのギャップは、英語や日本語ができるというだけでは埋められない、カルチャー的な部分が大きいと思うんですね。アメリカでの生活期間が長かった私は、少なくともその部分は理解できる。「考え方の違い」をブリッジできれば、ビジネスチャンスがあるのではないかと考えたのです。

 
 
 
実際に自分でイー・ストリート・ベーグルズという、ベーグルの販売会社を立ち上げたのは、日本に生活の拠点を移してから7年後。ハーバード大学でMBAを取得してすぐのことです。ハーバードに戻っている時に刺激を受けて、それで何か自分で会社を、まだ日本には無い「新しいモノ」を立ち上げたいと思ったんです。あと、日本でインターネットに関わる事業がやりたかった、というのも理由の一つです。

 ハーバードで勉強をしていた1997年というのは、ちょうどアメリカでインターネットが盛り上がってきた頃でした。シリコンバレーを中心として、企業家がどんどんベンチャーキャピタルを作って、凄いことをやっていた。この人たちは世界を変えている、と思いましたね。そんな光景を目の当たりにして、自分もインターネットを使って事業を仕掛けたいと思ったのです。

 しかし、日本ではまだインターネットが普及していませんでしたので、インターネットに特化した事業というのは、まだ早すぎると思いました。それに、インターネットに関しての知識も乏しかったので、どちらにせよひとりで立ち上げるのは無理でした。当時は、自分ひとりで立ち上げたいという想いが強かったんですね。日本には無い、新しいモノで、インターネットに関係していて、自分ひとりで立ち上げられる事業。それを色々と考えて、考えついたのが、ベーグルのオンラインショップでした。今でこそ、至るところで食べられるベーグルですが、当時、日本で粉から作るベーグルを販売していたお店はありませんでした。それで、お店も構えて、店舗での販売と併せてオンラインでも販売したんですね。インターネットはこれから間違いなく日本でも普及するという確信もありましたし、浸透して欲しいという願望もありました。少しでもインターネットに関わっておけば、将来何か発展があるかな、と思っていたんですね。

 
 
 
この会社では、焼く作業以外は全部やりました。ひとりで立ち上げたから、何でもひとりでやらないといけない。初めての起業。パンも知らない。サービス業も知らない。小売も知らない。店を構えるのも初めてなら、インターネットも知らない。もう全く新しい分野です。中でも大変だったのが、満足のいく「味」を出すこと。店の味を作り出すために、職人を連れてニューヨーク中のベーグル店を毎日歩き回って、食べまわって。こういう粉を使えば、こういう味になるのか、と毎日職人と話していました。そして9ヶ月くらいの準備期間を経て、日本でベーグル店をオープンさせることができました。

 店舗の方は、新しいということでテレビや雑誌に取り上げてもらって、そのおかげで最初から結構好調だったんですよ。でも、インターネットでのオンライン販売の方は全然ダメでした。全く売れなかった。当時は、楽天がまだ始まったばかりの頃で、楽天への月間登録費が5万円の固定費だったのですが、売上は毎月5万円に届かなかった。オンラインで物を買うということ自体浸透していなかったんですね。早いうちに始めたのですが、ブレイクするまでには結局2年くらいかかりました。2000年、2001年くらいになってやっと、みんながインターネットで買い物を始めるようになって、楽天も一気に浸透していった感じです。でも、苦しい時期もやめようと思ったことはなかったですよ。どんなことがあってもネットでのオンライン販売は続けていこうと思っていました。インターネットでのショッピングは、注文したときの記録とかも全部残ったりしますし、だから再注文するのもラク。やっぱり便利ですからね。アメリカの社会を見ていたからこそ、日本でも絶対にインターネットで買い物をするようになる、という確信があったんですね。

 もちろん不安もありました。雨の日は店舗にお客さんが入ってこないですし、ネット関連の事件が発生するとオンラインの注文が減りますし、毎日不安でした。でも逆に、売上が良い日は、もしかしていけるんじゃないかと思ったり、でも次の日はまたダメだったりして。本当に読めなかったですね。ここでひとつ思ったのは、次回は絶対一人では立ち上げない。また起業することがあったら、パートナーとって。

 しかし、ここでの経験というのは、本当に得るものが大きかったです。ひとつ150円のベーグルを売ることで、中小企業のオーナー社長の苦労や、立ち上げる苦労、サービス、小売業の苦労が分かりました。ビジネスの奥深さも分かりました。結局この会社は、日本でインターネットが盛り上がってきた中で、ベーグルのオンラインショップだけやっているのもつまらないな、と思い手放してしまいましたが、ここでの経験は、今でもとても役立っています。

 
 
 
現職のタッチストーン・キャピタル証券では、海外のお客様を相手に、不動産を中心とした投資事業を行っています。日本の不動産を海外の会社、ファンドが買ったり、売却する際のお手伝いをしています。

 この会社に入る前は、日本の携帯電話ゲームの海外進出をお手伝いする会社を手掛けていました。そして、その会社を売却し、さて次は何をやろうかなと考えていた時、去年の年末くらいですかね。この会社に入社するきっかけとなった衝撃的な出会いがあったんです。実は、現職の社長というのは、私が大学卒業後にアメリカで働いていた、KPMG会計事務所時代の上司なんですよ。私の最初の上司、しかも最初に私を面接した人でもあるんですね。その人とバッタリ、本当に偶然、赤坂センタービルの下で会ったんですよ。ビックリしましたね。久しぶりの再会で、しばらく話し込んでいたら「ウチに来ないか」という話になって、それでちょっと考えてみたんです。

 この時は、何かが変わろうとしているような業界に入りたいと思っていました。実は、日本の不動産業界には意外とインターナショナルな側面があり、海外ベンチャー企業との接点もあるんですね。そういうベンチャーを投資支援して育成したり、M&Aを手伝ったり、「金融」という動かす金額が大きい業界で、日本と海外を繋げていくことができる。今は不動産がメインですが、不動産以外の部分にも可能性を感じたんですね。それで入社を決めました。それに、この社長っていうのが、結構インパクトがある人なんですよ(笑)。この人とはいつかまた一緒に仕事をしたいなと思っていましたので、そのタイミングが合ったという感じですね。

 国内の不動産業界は43歳にして、自分にとっては初めての経験。よく不安はないのですか? と聞かれるのですが、今は不安よりも楽しみの方が大きいです。不動産のこととか、金融のこととか、まだそんなに詳しくはないですが、やっぱり違う業界が見れるというのは新鮮で、毎日新しい発見や学ぶことがあって、嬉しいことですよね。私より優秀な人間は沢山いますが、海外での生活を経験し、海外の人の考え方が理解できる、というのは、どの事業でも自分の大きな強みとなっています。

 
 
 
今、留学されている学生へのアドバイスとしては、まず英語力を身につけること。英語ができるということは、やはり強みになりますよ。英語ができるだけで、関われる仕事が色々と増える。それだけでも大きいと思います。あとは、他の国のカルチャー、ビジネスカルチャーを少しでも吸収して身につけること。海外にいる間、読むだけで終わらせてしまうのは勿体無いです。その国のカルチャーに触れる。学生向けのインターンシッププログラムもあるので、積極的に参加して下さい。少しでも他国のカルチャーを理解できるようになれば、それは絶対に仕事に活かせると思います。日本は独特です。カルチャー的には世界からかけ離れていると思います。世界と間逆の行動を取ることもあります。でも、それはそれでいいんです。「世界の中の日本」、この位置付けで見ることができると、色々と仕事に繋がると思います。

 
 
 

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