2000年 4月
石川県の市立中学を卒業

 
 
2000年 9月
Centennial High School

 
 
2003年 9月
University of California Santa Cruz

 
 
2007年 8月
株式会社ウインテック
 
留学カウンセラー
 
 
 
 
高校入学のタイミングで、父親がアメリカのカリフォルニアに転勤になりました。日本に残るか渡米するか迷いましたが、中学1年生の時にイギリスで2週間のホームステイの経験もあり、元々興味があった英語力を伸ばそうと渡米を決心しました。

4月に渡米し、9月にカリフォルニアのCentennial High Schoolに入学。入学したての頃はほとんど英語が喋れない状態で…苦労しました。更に、アメリカの高校は4年制なので、私が入学した時点ですでにグループができていて、その中には入りずらかったですね。ですが入学後1、2ヶ月たった時に「このままではだめだ」と思い始めました。話せない話せないと思っているうちは友達もできないのです。文法があっていようが間違っていようが、言われたことに対して何か答えなくては会話も続きません。アメリカ人は自己主張が強いですから、主張が下手な日本人から見るとオシが強い。最初はひるんでしまいましたが、そこを克服できたのは現地の仲のいい友達ができたことです。何を言っているか分からない私の話を親身になって聞いてくれました。それからワッと友達が増えました、嬉しかったですね。自信の問題でもあったのだと思います。とにかく自分から進んでコミュニケーションをとれるようになったのがブレイクスルーのきっかけになりました。

 
 
 
高校卒業後は帰国して日本の大学に行くことも考えました。しかし、このまま帰国したら苦労して培った英語を忘れてしまうのは目に見えていました。また、親元を離れひとりアメリカの中で自分がどれだけ通用するか試してみたかったので、進学を決意しました。入学したのはカリフォルニアの北にある、University of California Santa Cruz。英語力を伸ばすためには親元を出なければと、寮に入らなければ通えない大学を選びました。母がピアノの先生で幼い頃から音楽に触れる機会が多かったので、進学の時には好きな音楽と次に好きな生化学のどちらを専門とするか迷ったのですが、研究にとても熱心であったSanta Cruzに魅力を感じ、進学しました。大学での専攻は生化学と分子学、最終的にはアルツハイマー症とアミロイド症の基礎研究をしていました。

 
 
アメリカの大学は日本の大学のようにカリキュラムがほぼ決まっているわけではありませんし、将来のパスを組んでくれるカウンセラーが居るわけでもないんです。自らアクションをおこしていかなければ、何もせずに4年間を終えてしまう人もいます。ですから、例えば研究室に入りたいのであれば自分から教授にアプローチをかけて、その教授の研究室で勉強をさせてもらう許可をもらうということも必要になります。私にはそれらがとても新鮮で、自ら行動しないと何にもならないことを強く感じました。留学生だからといって特別なことは何もなく、高校時代よりも更に積極的に自分を表に出すことが必要になってきました。そうしなければ損することが多かったですね。研究室の先生から「ディスカッションに出てみないか」とか、「ティーチャーズアシスタントやってみないか」と言われた時も尻込みして一回断ることが多くて・・。2回目のオファーはないです(笑)もともと、自分は積極的なほうじゃないんです。ある意味、日本人としての文化が私の根幹に流れていたとでも言うか、手を上げることすら躊躇しますし、指名されるのも喜ぶところではありませんでした。しかし、それらを突き抜けていかなければ、何も進まない環境だったんです。その部分は、自分自身意識的に変革していったし、せざるを得なかったんだと思います。また、友人と住まいをシェアしながらの生活でしたので、生活の中で必要な書類の書き方ですとか、リアルタイムな英語表現も全て友人から学ぶことができ、実践的なコミュニケーション力は自然と身に付けていけたと思います。

 
 
 
4年生になりその後の進路を考え始めました。帰国して就職するか、アメリカで就職するか、または大学院へ進むか、卒業直前まで迷っていました。分子学の研究も凄く楽しかったですし。ただ、4年生になってワッと増えた日本人留学生から、離れていた日本のカルチャーを思い出し、以前より日本の素晴らしいところも見えてきました。更にその日本人留学生から「君は凄いアメリカンだよ」なんて言われて悔しかったし、自分的にも日本の心を忘れているんじゃないか、と少し心配になったんです。だけど自分のやってきた研究熱心さや忍耐力が日本でも通用するか試したかったので、次第に帰国を考えるようになってきました。
更に、4年生の夏の終わりから秋にかけて参加したLAのキャリアフォーラムで初めて日本の企業に触れました。外資系の企業ばかりが参加しているわけではありませんし、どの企業でも何年留学経験があるからとか、英語が流暢だからということが、就職に有利に働くことは全くありませんでした。そこが驚いたことだし考えさせられたところです。留学経験によって何を学び、今後どう生かすかが、私に問われていたのです。それをきっかけに、「学校で研究をしていた=(イコール)研究職に就く」ではなく、留学体験自体を生かせる仕事があるのでは?と感じ始めたのです。

 
 
 
次第に帰国を決意するようになり、キャリアフォーラムやインターネットを通して就職活動を始めました。一次帰国しての活動は時期的に無理でしたので、アメリカでできる範囲での活動でした。インターネットで羅列としての就職情報は見ることは、もちろんいくらでもできますが、精査される分、“幅が狭い”と感じていました。その中で、自分のやりたいことを突き詰めていくのは難しかったですね。
自分の専攻である薬学(分子学)の研究の方向に進む道も考えましたが、薬学は研究室でひとり自分との闘いになるわけです。私は元々人と接するのが好きですし、お喋りも大好き。ふたつの方向性を、自分自身に正直に問いかけたとき、その“社交性”の部分を活かしていく方向が合っていると確信しました。面接を通しても、その点は評価されたのだと思います。接客業ですし、相手の方と対面するときの再現性を伝えられた結果ではないかと思います。
また、英語を話せる環境であることもひとつのポイントでした。単純にスキル保持という面から「英語が話したい」ということではないんです。物心付いてから、日本での人生も、アメリカでの人生も同じくらいの私の中には、ふたつのアイデンティティを持った自分が居て、日本人の自分とアメリカ人の自分。アウトプットとして、それは日本語を介し、英語を介し表現されているものであり、私にとってはどっちも大切な自分で、両方が混ざり合って私なんです。だから英語に触れることができる環境は魅力的であったことも事実です。

 
 
就職活動全体を通して、他の企業からも幾つか内定をいただいていました。しかし、ウインテックの面接時に感じた社風がとても印象良くて・・みんな凄くいきいきと笑っていて、楽しんで仕事をしている雰囲気が、最終的に印象に残っていました。ウインテックは完全帰国した翌日に一次面接だったのですが、故郷の石川県に帰る私のために、特別に二次面接(最終面接)も繰り上げてくださるなど、対応も非常に柔軟でした。そうして私の望み通り、内定をいただけることになりました。

 
 
 
留学カウンセラーとして働き始め8ヶ月がたちました。面接時の印象そのままに、皆仲が良く笑いの絶えない充実した職場です。同僚の多くが海外経験者で、日本の概念にとらわれないグローバルな視野を持っています。また、アメリカに関わらず海外の文化に興味がある私にとって他国の文化を学べる環境でもあるのです。現在は、留学を希望するお客様のカウンセリング、その後の手配、出発後のフォローまで、完全オーダーメイド留学のサポートが私の仕事です。

実は、“留学”というのは、はだれでもできることなんです。そこで何を学んでくるかというのも、本当に人それぞれです。その中で、自分自身をひとつのサンプルとして、「私はこういうところが変わった」っていう体験を話せることは、他の誰でもない自分自身にしか提供できないことなんです。お客様はその“生の情報”を必要としているんです。インターネット上の単なる情報の羅列ではないんです。個人から、対面して伝えられる情報というのは、まさに一次的情報で、非常に貴重ではないでしょうか。私の場合、父の転勤から海外へ渡ったので、ある意味特殊な例になります。なので、進学で留学を考えている人には、それなりに厳しい世界だよ、ということを教えてあげられることもできます。日本の大学とはどこがどう異なるかという点を実体験を元に説明できるというわけです。逆に、自分にとって当たり前だったことがそうではないのだと、お客様から気づかせてもらったりすることもあります。まだまだ、経験を100%生かしきれてるわけではないんですね、そこには学ぶことも沢山あります。現在、自分の経験を伝えるのが上手くなった一方、お客様が何を求めているのかを、もっと客観的に見出す力を伸ばしていきたいです。本人が気づいていない引き出しをいくつも開けてあげたいと思っています。

 
 
カウンセラーとしてのやりがいは、相手の人生の岐路に大きく関われることです。今でも印象に残っているのは、カリフォルニアの大学に留学した、ある男子学生の方をサポートしたときのことです。正直に言うと、まだ自分自身カウンセラーに成りたてで、文字通り、初めての業務だったんです。本当に自分のほうが学ばせていただいた部分が大きかったです。こっちも全力でカウンセリングしましたし、必死に動きまわってました。さらにその方も精一杯悩んでいて、ふたりで云々としていたんです。今思えば、ちゃんとこころとこころで真剣に話し合えていたんですね。実際、3回も4回も私のところにカウンセリングにきていただき、とうとうご両親を「説得できた!」とうれしそうにご報告していただきました。そして、無事送り出したその方が、日本に戻ってきたときに、わざわざ会いに来てくださって、その太り具合!(笑)そのいきいきとした表情!うれしくて、心の底から感激しました。その時に、自分は話を聞いて、自分の体験を話していただけなのに、「すごい、私はこのひとの人生を変えたんだ。」と確かな手ごたえと、大きな責任を同時に感じました。カウンセラーとして、こんな結果の出せた仕事から始められたことはとても幸運でした。今後も、お客様の背中を支えてあげられて、「ありがとう。頑張ります!」という言葉を聞ける、カウンセラーであり続けたいです。

 
 
 
始めてみると様々な困難にぶつかると思います。基本的な日本のビジネスマナーなど、いちから学ばなければいけないこともあるでしょう。海外にいる分情報が少ないので、その中で自分の行きたい企業を探すのも困難です。ですので、情報収集が必要になってきます。大学の教授に相談したり、日本の企業に直接メールを送ってみたり。ひとりで考えていてもきりがないので、やはり自ら行動して、いろいろな人に話を聞くことです。また、自分の全く興味のない分野にもチャレンジしてみることをお薦めします。そうすると、本当にそれが苦手なのか、ただ眼をつむっていただけなのかが自ずと分かってくるでしょう。私も研究職にこだわり、もしフォーラムに参加していなければ、現職との出会いはなかったと思います。

留学を経験した皆さんの中には、海外に慣れてしまい、日本の形式的な就職活動のスタイルに違和感を覚える方もいるかもしれません。ですが、留学経験によって自分のやりたいことを単刀直入に発言できる力がついている方も多いのではないでしょうか。更に、日本の概念にとらわれない考え方ができ、グループ面接などで、個性を発揮できる場面もあると思います。最後まで諦めず、自身のバイタリティを生かし、楽しくやりがいのある仕事をみつけてください。