1989年
早稲田大学商学部
 
 
 
 
1989年~
英国国立ケント大学大学院(国際政治学修士号) 英国国立シェフィールド大学大学院(国際政治関係論修士号)
 
 
 
 
1993年~
ボストンコンサルティンググループ(BCG)
 
コンサルティングファームにて戦略立案・実行支援を担当する中で経営ノウハウを学ぶ
 
 
1995年~
マスターフーズ
 
ブランドマネージャーとしてペティグリーチャム,カルカンを担当
実業を通してマーケティングの経験を積む
 
 
1997年~
英国ケンブリッジ経営大学院
 
経営学修士号(MBA)を取得。インターンプログラムとしてGE(ゼネラル・エレクトリック)ヨーロッパでプロダクトマネジャーとして1年在籍。本採用のオファーを受ける。
 
 
1999年~
ソフトバンク
 
 
 
 
2002年~
ニッセイ・キャピタル
 
自らの新規事業統括の経験から、日本のベンチャーを育成する必要性を感じベンチャーキャピタルにてベンチャー企業への投資・育成に携わる。
 
 
2006年~
早稲田大学 大学院商学研究科 准教授
 
EUビジネスマン日本研修プログラムアカデミックコーディネーターとして教育に携わる。
 
 
 
 
もともと、実家の本業は100年ほど前に北海道で始まった食料品卸問屋だったのですが、僕が生まれた頃には父が英会話学校もしていたこともあってグローバルな仕事をしたいという意識は子供の頃から刷り込まれていました。いつの頃からか、大学を卒業したら留学しよう、と決めていました。
 親からも「社会人になってから遊びに目覚めるとかえって歯止めが利かなくなる人も多いから、大学の間はいろいろ遊びも経験しておいたほうが良い」と言われていたので、額面通り受けとって、大学時代は随分遊んでいました。卒業直前でも留学準備は終わっていませんでした。 18年前の当時は何をしていいかよく分からなかったんです。
 ブリティッシュ・カウンセルに行ったり、いくつか本を読み、留学経験者に話しを聞いたりして、海外留学では入試が無くて、英文エッセイ(小論文)が必要であるとか、インタビューが厳しい・・・などはわかっていました。 でも、そのエッセーの書き方もよく分かりませんでした。ただ、日本でそのエッセイの書き方指導を受けると当時は十何万円もかかりましたし、選択肢も少なかった。 
 なにより、当時は電子メールも無かったので英国の大学との手紙のやり取りは時間がかかり非常にまだろっこしく感じました。国際電話も高かった時代です。それならば、エッセイの書き方も現地で学べるし、時差無くコンタクトできたほうが良いと思い、語学学校だけ決めてイギリスに渡ってしまいました。当時の読みとしては、英国にゆけば英文エッセイの書き方を、教えてくれる人の選択肢もいろいろあるだろうし、気になった大学もすぐ訪問できて早かろうと思ったのです。
 実際、現地でエッセイを書いていくと、最初は下手な文章だったのが何回も書いて提出していくうちにうまくなっていきましたね。インタビューをしても良いといってくれた大学には先方の都合がよければ、翌日にでも会いに行きました。結果的には当時国際関係論では英国内でもトップレベルの評価を受けていたケント大学の大学院でMAに進みました。ここの国際関係論のマスターは厳しかったので、日本の大学から直接来る人の多くはマスターの前にディプロマを取得する人が多かったのですが、その時はディプロマの存在を知らなかったので必死でマスターのインタビューを受けました。

 二度目の留学は経営学修士号(MBA)取得のため行きました。このときはすでに結婚していたのですが、入学に必要なGMAT(※1)の無料テスト(留学予備校が催していた)を試しに受けに行ったところ、なんと、たまたま一緒に受けた妻より点数が悪かったんです。かなりショックでした。
 それから受験対策本を読んでみたのですが、ずいぶんボリュームもあり大変だと思いましたね。そこで、探してみたらある予備校に1週間短期集中講座がありまして、一週間程度なら死ぬ気で勉強しようと思って受講しました。このときは実家の事情で家に戻っていたときだったのでそうした集中した時間が取れました。その集中講座の直後に実際のGMATの試験がありましたが、想定していた合格基準点に近い点数は取れたので、とにかくエッセイを書いて応募することにしました。
 このときも、妻の協力が大きかったです。まず大学で海外留学経験のある妻が客観的にエッセイを添削して、それをネイティブに見てもらいました。そのネイティブは僕の友人の奥さんだったのですが、その奥さんと僕の妻の2人でエッセイを突っ込まれたので一気に内容も深まりました。その甲斐あってかケンブリッジから面接受けますか、という連絡が来まして、即日返事を送って0泊三日の最速スケジュールで向かったんです。スピード感で意欲を示そうと思ったんですね。 予想よりも早くインタビューに行くことになったのでインタビュー時の想定問答をネイティブチェックしてもらう余裕が無く、泊まったホテルのスタッフに見てもらいました。インタビューを終えて日本に戻ったら翌日には合格許可のメールが来ていました。
 留学中も妻が、予習の手伝いから忙しいときは予習そのものまでやってくれて、本当に助かりました。極力夫婦一緒の時間を作りたいということで勉強の時間を効率化するために手伝ってくれたんですね。ケンブリッジのMBA(現在はジャッジ・ビジネス・スクールと呼ばれています)ではトップクラスの成績で卒業できたんですが、内情をよく知っているクラスメイトからは「妻が留学していたら首席だったのでは・・・・」とからかわれました。
 その際に欧州の大学院に留学して感じたのは、協力の精神が根付いていることです。特に私の場合は、留学の第一タームの試験中に子供が生まれて育児が始まったんですが、クラスメイトが私の妻をきづかって育児のコミニティを紹介してくれたり、いろいろと協力してくれました。そういう文化を生で体験し、トップクラスのMBAに来る連中は人間的な深みや幅もあると感じることができたことは、その後の自分には大きかったですね。
 
※1 GMATはMBA留学時の一般的な評価テスト

 
 
 
最初の留学では英語になじむまでがきつかったですね。日本にいたときに英語は苦手ではないと思っていたのですが、9月に入学してからクリスマスまでの間は講義を聞いても、テキストのどのページをやってるかすら分からない状態が続きました。講義の度に、今度こそ質問しようと思って準備して、質問してみても「その質問はもう出た」と言われる始末。
 でも、そんな苦労もありましたが後半挽回し1年でケント大学の修士号を取ることができました。最初は、アカデミックキャリアも考えていて、シェフィールド大学に進みました。国際政治経済を学ぶ中でも、特に多国籍企業のグローバル化、戦略提携などを見ていたのですが、勉強するほどその変化の激しさを感じ、これは早く実際の仕事がしたいと思うようになりました。
 ちょうど、その頃はヨーロッパも不況で、日本人が就労ビザを取るのも大変だったので、日本でも就職先を探してみようと思って一時帰国して、大学時代の同級生を集めてそれぞれの状況を聞いたんです。過去や性格を全く知らない人より、大学時代から知っている友達から話を聞いて、どんな仕事に就いてどうなっているか聞いて参考にするのが一番分かりやすいだろう思ったんですね。
 そうしたら、たまたま米国系の経営戦略コンサルティング企業のボストンコンサルティンググループ(BCG)に就職していた友人がいて「ここの仕事はむちゃくちゃ面白い、やりがいもあるぞ」と言うので一時帰国中に面接を受けに行きました。運良く内定を頂きその週に決めました。コンサルティング企業ならば、広く世の中を知ることができるだろうし、経営のことも学べるだろうと考えました。
 約3年間いました。本当に学ぶことの多い濃密な3年でしたが、大変でした。まずは会社の先輩の話しの内容についていけない。 留学の最初の3ヶ月は、英語の問題で授業がわかりませんでしたが、BCG入社当初は日本語なのについていけなかった。 内容が多少わかるようになった後も働く量が多い。平均で“週”に120時間ほど働いていましたね。
 正直、BCG時代はどちらかといえばできの悪い方だったと思います。そんなできの悪い新人なのに、当時の社長だった堀さんはなぜか親切にしてくれてよく飲みに連れて行ってくれました。 そこでいろいろ学ぶことも多かった・・、本当に感謝しています。 副社長の井上さんにもよく飲みに連れて行ってもらいました。まるで、忙しかったのは飲み歩いていたせいのようですね。
 BCGの後半は体もきつくなり、又実業をしてみたいという気持ちも強くなり転職を考えました。その際、特にマーケティングを今後の強みにしたいと考え、その結果、マスターフーズに転職することにしました。当時マーケティングが優れた代表的な企業は、ジレット、P&G、コカコーラ、ユニリーバ、ネスレそしてマスターフーズと言われていて、そのどこかで働けばマーケティングに関してはどこでもやっていけるだろうと言われていたのです。

 マスターフーズ・ジャパンでは、29歳でブランドマネージャーとして勤務し、ブランドマネジャーとしては当時最年少だったのですが、役員を見てみるとエクスパット(本国からの派遣社員の外国人)が30-40歳台でトップまたはシニアマネジメントとして働いており、日本人よりは10歳は早くキャリアを進めてると感じました。 この差を埋めるにはMBAが有効なのではと思ったのがMBA意識したきっかけです。
 MBA卒業後は事業責任を持って経営をしたいと思い、ソフトバンクECホールディングスに入社し、新規事業統括を担当しました。成功も失敗も含め非常によい経験をさせてもらいました。その中で、日本のベンチャーが育つためには伝統ある企業のサポートも必要だと感じました。
 コンサルティング出身者はM&Aやバイアウト関連の仕事に就く人が多いのですが、私はビジネスの成長プロセスが好きだったことと、ビジネスの出生率をあげることが日本にとっても大事なことだと考えてニッセイ・キャピタルへ転職しました。 ニッセイ・キャピタルも中長期的に投資先の成長を意識した投資を行う点で、非常に僕の方向性とも会っていて良い所でした。 安心して投資を受けられる投資会社ですね。
   

コーポレートの精神を実感した英国ケンブリッジ経営大学院時代  通常は会社の人事が組み立ててくれるキャリアローテーションに沿って、異動をする中で経験を積んで行くのですが、振り返ってみると、僕は自分で転職や留学を通してその時々に必要と感じたキャリア・経験を組み立ててきたと思います。比較的、思い通りのキャリア・経験を積んでこられた理由は、いちおうその時々で中長期のプランを立てていたと同時に、感覚と瞬発力を信じてあまり躊躇しなかったことでしょうか。 又、よい人にめぐり合えてきたことに運の良さも感じます。 これまでの会社でごいっしょしてきた人は最初のBCGも含めてほぼ全ての会社の上司や同僚と今でもコンタクトがあり、定期的に会える関係です。
 現在のメインの仕事は、母校の早稲田大学でEUのビジネスマンが日本でビジネスを行うための教育を行うETP(※2)というプログラムのコーディネーションです。実家が30年以上教育関係の事業をしており高校も経営していて、ここしばらくはその学校経営の手伝いもするなど教育には元々興味がありました。 6年ほど前からいくつかのビジネススクールで教えてきたこともあり、縁あって現在に至っています。
   
  ※2
EUビジネスマン日本研修プログラム。1979年からの歴史がある日本で活躍できる欧州の人材を育成するためのプログラム。プログラム期間は約12ヶ月。4大学コンソーシアム:早稲田大学(東京)、パリ政治学院(パリ)、ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)(ロンドン)およびボッコーニ大学(ミラノ)で運営している。国際企業の日本法人CEOに就任している修了生も多い。

 
 
 
全体として、どの段階の経験も役に立っていますし、楽しかったです。たしかにBCG時代はきつかったですが、はじめに荷重のきつい仕事をしたお陰で、他のところで働いたときに多少ラクに感じるようになりました。大リーガー養成ギブスをはずしたような感覚です。
 これまでの経験で感じてきたのは、はあれこれ考え悩む前に動いてみると、(大変ですが)発見や出会いがあり次に繋がるということです。
 たとえば、MBAのために留学したケンブリッジ大学では1年間学校が就労ビザを保証してくれてインターンシップとして英国内でフルタイムで働けるサンドイッチコースというものがあるのですが、そのときゼネラルエレクトリック(GE)という世界有数の企業がそのインターンシップのポジションとしてある製品ラインのプロダクトマネジャーをオファーしてくれました。
 始めて英語環境で仕事をするわけですし、どうやら欧州GEでは唯一の日本人らしいし、その製品分野も全くなじみのないもので、こんなこと引き受けて大丈夫かなと思いました。 ですが、ここで躊躇していてはチャンスがなくなると思い、すぐに“ええいっ”とOKの返事をしました。
 そこは多様な文化圏の人が働く職場でしたので、苦労や失敗もしましたが様々な発見がありましたね。たとえば、同じような言い方でも言葉を発した人の文化背景によって全然意味が違うということ。このような体験を通して文化背景を理解したコミニケーションを現場で学ぶことができました。これは、海外ならではの経験だと思います。
 とくにMBAで理論を勉強するだけでなく、現場で個々の人との付き合い方を学べたのはとてもよかったですね。どうしてもMBAの理論だけを先行させてしまうと、現場でのコミニケーションがうまくいかず実際の経営では行き詰ることが多いように思います。
 また、英米のネイティブ、インド系、中国系の英語がミックスの電話会議に頻繁に参加していたので、さまざま訛りの英語を聞き取ることができるようになり、電話会議が楽になりましたね。こんな環境で働けるのもなかなか貴重な体験でした。実はGEで働き始めた最初の1ヶ月は、製品の知識や、会社の仕組み、こうしたいろいろなものにキャッチアップするので大変でした。
 これから将来のキャリアプラン、ライフプランを視野に入れ、海外留学などを考えている人にアドバイスするとしたら、「あれこれ考える前にアクションをおこしたほうがいい、ただしマックスリスクだけは避ける」ということ。リスクを過小評価するのも問題ですが、多くの人はリスクを課題評価し、何か行動をおこす際に二の足を踏んでいるように感じます。命があればなんとかなる・・くらいの気構えでいれば、すべての経験があとで役に立っていると感じます。