2010年3月卒業者の就職内定率は約80%(2月1日時点)。
これは比較できる2000年以降で最低の水準だという。
同じように1993年、経済が低迷するアメリカで大学を卒業しながら、
持ち前の明るさと努力でピンチをチャンスに変えながら、
2008年、38歳という若さでパソナ副社長に就任した佐藤スコット氏。
そんな苦しい時代をタフに生き抜いてきた同氏が、
世界で活躍するために必要な条件、チャレンジすることの大切さを語る。
 
 
 
 
 
株式会社パソナ 取締役副社長COO
佐藤スコット
 
 
プロフィール
1970年(昭和45年)、アメリカ・ニューヨーク州出身。1993年、Iona College卒業後、会計事務所で国際コンサルタントとして活躍。その後、新たなフィールドを求め「パソナインターナショナルインク(現:Pasona NA,Inc.)」に入社。同社で代表取締役社長を4年務めた後、「パソナ」本社で副社長に就任。派遣・請負事業、海外事業を管理する。
 
 
 
 

お金持ちになりたくて会計士を目指す


—まず、スコットさんはパソナに入られる前はアメリカの有名会計事務所で国際コンサルタントとして活躍されていましたが、まず初めに会計士を目指そうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

 お金持ちになれるかなと思って(笑)。でも、最初の理由はそれなんです。
 私は、両親が移民としてアメリカに渡ったので、アメリカで生まれ育ちました。高校生の頃はNYの郊外に住んでいましたが、学生時代のある日、友達の家に遊びに行ったんです。
 そしたら、家にはプールがあり、車庫にはBMWが3台も停まっていて、あまりの豪華さにビックリしました。「この生活はいいな、一体何をしている人なんだろう」と思って仕事を聞いたら、会計士だったんです。
「なるほど、会計士になればこういう生活ができるんだ」と思って、大学に入って会計の勉強をし始めたんです。だから、最初は単純に会計士になれば、お豊かな生活ができるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

—実際、夢は叶いましたか(笑)?

 それがそうでもない(笑)。大学を卒業したのが1993年でしたがが、当時のアメリカは不況で、その前年だと、当時あった8大会計事務所(現在は4大)に卒業生の約7割が就職できたところ、私の同級生は約100人いた卒業生のうち、たった3人しか就職できなかったんです!! それぐらいマーケットが落ちていて、仕事もなかった時期でした。
 残念ながら、そのうちの3人には入れなかったので、最終的に友達に紹介してもらった小さな会計事務所になんとか就職することができました。
 なので、最初は予想に反して給料もすごく少なかったですよ(笑)。
 でも、勉強してキャリアアップしようと頑張っていました。
 そういうこともあったので、ちょうど今も新卒者の就職が厳しい時代ですが、私達の時代もかなり厳しかったので気持ちはよくわかります。当時は面接を受けても、ほとんど断られてばかり。でも、それで落ち込んでいても仕方ないので、お断りの手紙を全部集めて、友達同士で誰が一番多いかって争いをしていたくらいです!

—出だしから順風満帆ではなかったんですね。

 そうですね。でも、その頃常に思っていたのは、上を向いて、勉強して経験を積んでいこうという発想で仕事をしていましたね。だから、いろんなことを学びました。
 最初は日系の会計事務所で、次にアメリカの中小の会計事務所に移りました。この2社では会計の基本的な仕事や、営業のテクニック、アメリカ人の仕事の仕方などを学びました。
 その後、4大会計事務所のひとつである「アーンスト&ヤング(Ernst & Young)」に入ることができました。そこは、やはりそれまでとは全く違う雰囲気でしたね。仕事の内容もスピードも異なり、接する人々の輪も広がりました。

 
 
 

お金よりも関わる人とどう楽しく仕事をするかが大切


—せっかく華々しいキャリアを手に入れられたのに、それを捨ててまでパソナでやろうと思われた理由はどこにありましたか?

「アーンスト&ヤング」には5~6年いましたが、働いていくうちに自分は会計という仕事に向いてないなと感じました(笑)。
 なぜかというと、数字を扱う性質上、細かくて正確性に重きが置かれる仕事が多く、それはそれでいいんですが、なかなか人と接する機会が少ない。もっと人と絡みながら面白いことができないかって思い始めました。
 そんな話を友人に相談していたら、「パソナ」っていう会社が上場準備をするので、面白いかもよと教えてくれたので、入社することにしました。
 もうその頃は、お金を儲けることよりも、人とどう楽しく仕事をしていくのかや新しいフィールドで自分の実力を試したいという気持ちが強くなっていましたね。
 給与だけを考えれば、会計事務所にそのまま残っていた方がよかったでしょうが、それだけでは面白くないのでは、と思いました。会計事務所に残れば「安定」は得ることができたかもしれませんが、面白味ややりがいを求めて転職をする決意をしました。
 当時の「パソナ」のように、ベンチャーに近く、上場を目指して、いろんなチャレンジを試みるエネルギッシュな人たちが集まっている会社で仕事をしてみたかったんです。

—とはいえ、誰もが憧れるキャリアを捨てて、異なるフィールドに飛び込むのことに不安はなかったですか?

 確かに、会計と人材派遣ですから、全く違う業界ですが、でも、扱っている内容が違うだけで、ともに “サービスを売る仕事”ということではあまり変わらないんですね。
 もちろん、細かいところは全然違いますが、我々のようなサービスを売る仕事というのは、お客様に営業マンの信用と会社のブランドを買っていただいているので、結局はそこに働く“人材の力”がポイントとなります。
 そういう意味で、「アーンスト&ヤング」が優れているのは、社員を育てることを徹底している点。どこよりも強い人材を育てるというのが彼らの特徴です。そういういい文化をパソナに持っていけば、パソナも強い会社にできると考えました。
 また、景気が悪いときに卒業し、小さい会社で働く経験もあったので、転職する決断もできました。つまり、景気がいいときに社会に出て、大手企業ばかりで働いていたら、冒険もしなかっただろうし、景気が落ち込んだときに対応できなかったと思います。

 
 
 

日本とアメリカの仕事の進め方の違いに四苦八苦


—「パソナ」に入社されてからの経歴を簡単に教えて下さい。

 入社した2000年当初は、会計事務所での経験を活かし、経理関連の強化の役を担いました。
 その後、2003年に当時の社長が引退し、私が「パソナインターナショナルインク(現:Pasona NA,Inc.)」代表取締役の後任として着任しました。
 社長になると、どのようにビジネスを成長させるかだけではなく、社員の処遇やモチベーションのマネジメントなど、判断しなければならないことが多くあります。苦労も多かったですが、社長になり、自分の責任で様々なチャレンジができて面白かったです。
 5年間アメリカで社長を務めた後、2008年に日本に駐在することになりました。最初はパソナの海外事業全般を強化する目的で来日しましたが、1年もしないうちに国内事業も担当することになり、副社長COOとして、今では人材派遣・請負事業、また海外事業の責任を担っています。
 担当している範囲が多岐に渡り、忙しいですが、仕事は楽しいですよ。

—今年(2010年)で40歳。一般から見たら、かなり早い出世だと思いますが、仕事上で苦労されたところなど教えてください。

 苦労したことといえば、アメリカで責任者になったときよりも、日本に来てからの方が多かったですね。同じ会社とはいえ、アメリカでは代表なので、自分の責任の下、ある程度自由にビジネスを進めていましたが、こちらにこればより大きな組織の一員として行動しなければならない。ルールもありますし、さらに、日本とアメリカの仕事の進め方の違いというところで苦労しました。
 例えば、アメリカ人は楽観主義の人が比較的多いです。そのような環境で育った私からしてみると、日本での仕事の進め方はかなり慎重なイメージが強いです。これは文化の違いなので、いい悪いの問題ではないですが、何か新しいことを始めようと言っても、「これはこうだから難しいんじゃないか」「失敗したらどうするんだ」という人が日本では多い。まずは「やってみよう」とはあまりならないですよね。これは、間違えたらいけないという考えが根本にあるからだと思いますが、これに慣れるのにちょっと苦労しましたね。
 まあ、そういうときには、都合良く「私はアメリカ人だからよくわからないです」と言って行動しちゃうこともありますけどね(笑)。

 
 
 

日本での成功例が海外で通じるとは限らない


——1984年より海外進出にも力を入れられている「パソナ」で現在、海外事業も管理されていらっしゃいますが、印象深い国ってどこですか。

 インパクトという意味ではインドですね。フェラーリが走っていて、その隣に社用車のカローラが走っていて、その隣に牛がいて、その隣では裸の子どもが道端でおしっこしている。また、ルイ・ヴィトンなど、有名ブランドがはいっているモールのすぐ横に、バラックがずっと続いてたりとか。その極端ぶりがショックでしたね。
 このような環境の中、進出した日系企業にパソナは人材サービスを提供しています。
 国によって労働法をはじめ、文化や人の価値観は異なります。グローバル人事はこのような点を考慮した上で戦略的に行なう必要があります。これが難しくもあり、面白いところです。
 日本ほど派遣事業が規制されている国はありません。だから日本のビジネスをそのまま海外で展開しても成功するとは限りません。もちろん、台湾やタイなど、日本とよく似た国では比較的ビジネスの横展開がうまくいくケースもあります。
 インドや中国は、日本と同じアジアでもビジネス文化はアメリカに近い。ビジネスを行なう上で、現地の文化、価値観を理解するということは非常に重要です。
 そういう意味でアメリカでの経験はすごく貴重ですね。
 その国の人や文化を理解するというのは難しいかもしれませんが、“違う”ってことを理解していけば、こちらの常識が通じなくても焦ることはありません。

—今後はさらにグローバル化が進みますよね。それに応じてビジネスモデルも変化していくわけですね。

 そうですね。パソナでもこれまでの実績を踏まえ、アメリカを筆頭に、人材派遣の次のビジネスモデルが少しずつ確立できてきました。
 そこで、これまで以上に各地域が連携し、お互い取り入れられるビジネスモデルは積極的に導入しています。もちろん、そのままではなくて、ローカルルールに合わせてアレンジしています。
 こうして日々進化し続けるところが、グローバルビジネスの面白いところです。
 人の流れのグローバル化は、今後益々活発になります。例えば、「アメリカと中国」の方が「日本と中国」よりも考え方が似ています。だから、中国で人材を探している企業は、アメリカに駐在している人を採用した方が優秀な人材を採用できるケースもあります。
 また、グローバル化を進めている中国では英語ができる中国人を採用するニーズが高い。このような人材は日本にはなかなかいませんよね。だから、こういう場合もアメリカで採用する傾向が最近増えています。
 このような流れがすでにあるので、ますます当社の海外拠点同士の連携、日本対海外じゃなくて、海外対海外というのも強化していかなければなりませんね。

 
 
 

今こそ世界に出てチャレンジする気持ちが大切


—ますます進むグローバル化のなかで、今後日本人に求められることって何だと思われますか?

 これは日本に来て初めて知ったのですが、新幹線やエコエネルギーなど、日本には世界で売れるものがたくさんあるのに、売り方がわからないのか、世界に売っていくという発想自体がないのか、なかなか世界で成功していない。もっと世界に出てチャレンジする、この気持ちが大切だと思います。
 今、海外で働きたい、また留学したいという若い世代がどんどん減っているようです。これが一番の問題じゃないかなと感じます。
 でも、ある意味チャンスでもあります。今、一歩踏み出せば、何年後には能力や経験がまわりと比べて飛び抜けているはずです。そういう意味では、ものすごくいいチャンスが来ているのに、景気が悪いって言われて、内向きになってしまっているのが今の流れじゃないかなって思います。  景気が悪い今だからこそ、チャンスです。それは、私も身をもって経験しています。
 また、日本は若い人にもっと任せてチャンスを与えるべきです。そして、中小企業の独立の仕組み、ベンチャーをどんどん推奨することも大切です。

—そういう意味ではスコットさんは若い時期にチャンスをつかまれていますね。

 ラッキーでした。  でも、その反面常に「これが来たらラッキーだな」と意識していたから、ラッキーと思えただけで、そのチャンスが来てもラッキーだと思えなかったら、それはラッキーじゃなくなる。
 このような意識は重要だと思います。くじ引きで商品が当たった人に「ラッキーですね」と言うでしょ。でも、ラッキーではないんですよね、くじを買っているので。くじを買わないとラッキーが訪れるチャンスもないってことですよ。この差だと思います。常にラッキーを呼び寄せるために準備をしておくこと。

—常に若い頃から10年後、20年後のビジョンを明確に描いていたのですか?

 そこまで明確なビジョンはなかったです。でも、大学卒業するときに、この歳でこの給料、この歳で結婚、この歳で子ども生むという大まかな人生設計はたてていました。不思議と大体全部当たっていますね。
 また、いつか自分で事業を起こしてみたいです。あとは45歳で引退できたらいいなと思っています。実際引退するかどうか別として、引退できる環境は作っておきたいです。
 仕事は好きだから続けたいです。そういう意味では自分の仕事には自信とプライドを持っています。だから、自分が本当にいいと信じて行なった結果、クビになってしまうことがあれば、それはそれで仕方ないと思っています。常に自分で納得がいく仕事をするよう意識しています。

—現在はかなりお忙しいとは思いますが、リフレッシュ方法って何ですか?

 基本的には、平日しか仕事をしないようにしています。日本に来てからは週末も働くこともありますが、できるだけしないようにしています。
 そして、休日には家族とスキーに行ったり、旅行をします。
 私にとって、家族の存在は本当に重要です。私の好きな言葉で、“I don’t live to work ,but I work to live.”というのがあります。やっぱり生活するために働くのであって、働くために生きているわけじゃないので、家族全員が揃ってゆっくりバケーションを取るというのを大切にしています。そうすれば逆に月曜日になると仕事に行きたくて仕方ないってなります。

 
 
 
 
 
 
 
 
1993年 7月
米会計事務所入社 国際コンサルタントとして活躍

2000年 2月
パソナインターナショナルインク入社
アウトソーシング事業部立上げ・同事業部の責任者に就任

2004年 4月
Pasona NA, Inc.に社名変更
代表取締役社長に就任

2007年12月
株式会社パソナグループ 
常務執行役員 CGO(Chief Global Officer)(現職)

2008年12月
株式会社パソナ 副社長

2010年 3月
株式会社パソナ 取締役副社長COO(現職)



 
 

未内定者の学生必見!!
パソナ 未内定学生のインターンシップ事業「新卒者就職応援プロジェクト」

総合人材サービスを展開する株式会社パソナ(本社:東京都千代田区、代表取締役 南部靖之)は、今年3月に大学等を卒業し、就職先が未内定の学生を対象に、中小企業で働く上での技能を習得するための職場実習(インターンシップ)などを実施する「新卒者就職応援プロジェクト」を行っています。
実際に働きながら技術を学べて、お互いの条件があえばそのまま就職できるチャンスもあるうえに、インターンシップ期間中は日給7000円も支給される。将来キャリアアップを目指す人も、まずはじっくり自分の技術を磨くことからはじめてみてはいかがだろう。
募集期限は6月末まで。詳しい問い合わせは「株式会社パソナ 新卒者就職応援プロジェクト事務局」まで。


「新卒者就職応援プロジェクト」概要

募集締切 2010年6月末
対象学生 2010年3月大学等を卒業し、中小企業の仕事に触れながら、企業で働く上で必要とされる技術・技能・ノウハウなどの習得を目指す方
対象企業 プロジェクトの趣旨をご理解いただいた採用意欲のある中小企業
※中小企業基本法第2条において定められた事業者を指す
内  容 学生と中小企業のインターンシップ運営
実習生および受け入れ企業への助成金支給
(実習生)技能習得支援助成金 日額7,000円
(企 業)教育訓練費助成金  日額3,500円
     実習生寮費助成金  日額1,300円(上限)
※「新卒者就職応援プロジェクト」は中小企業庁および全国中小企業団体中央会が主催し、パソナがその運営を受託しています。
実習期間 2010年12月31日までのうち原則6ヶ月間
お問合せ 株式会社パソナ 新卒者就職応援プロジェクト事務局 TEL.03-6734-1055(平日9:00~17:30)