1998年
親和女子高等学校



 
2002年
Selem State Colleg,Sport Fithess, and Lisure Studies



 
2003年
現サノフィ・アペンティス株式会社(当時のアペンティスファーマー株式会社)



 
2006年
大塚製薬株式会社、現在に至る
 
 
 
留学を考えたのは、自分の将来を現実的には考えられない高校生の頃。スポーツに関わる仕事を考えており、メディカルドクターになるために医学部に行きたかったんですが成績的に難しくて(笑)。次に目指したのが、選手の近くにいられるアスレティックトレーナーでした。ただ、当時の日本では一般的ではない職業だったため、どうしたらなれるのかが分からなかったんです。そこで、無謀にも現役で活躍されている実業団バレーボールチームのトレーナーだった方に「どうしたらなれますか?」と手紙を書くことにしました。すると、そのトレーナーさんが素晴らしい方で「アメリカに留学するのが一番いいよ」とちゃんと返事を下さった上に、両親にアスレティックトレーナーがどんな仕事で教育システムがきちんとしているのがアメリカだということも説明してくださったんです。おかげで留学に反対していた両親を説得することができました。それまで、親の敷いてくれたレールの上を何の疑問も持たずに進んできた私にとって、留学を決めたことが、自分の意思で歩き始めた最初の一歩でしたね。

 
 
 
両親の反対を押し切って自分で選んだ生活。NCN米国大学機構のプログラムを経て入学したのですが、いざアメリカに行ってみると何もかも1人でしなければならず戸惑うこともありました。特にアメリカでは、自己主張をはっきりしていかなくてはならない。最初は尻込みしていましたが、勉強(特にメジャーのクラス)や部活、International Student Associationなど、1分1秒もムダにしないよう全力で取り組むうちに、やった分だけ成果となって自分に返ってくることが実感できたんです。それからは、学校生活も遊びも全力で大学時代を楽しもうとしました。そんな私にとっての「全力を出せているかの判断基準」は結果ですね。結果の有無はもちろん、望んでいるような評価をもらえなかったときに悔し涙も出ないのは努力が足りなかった証拠。私は頑張れない自分が何よりも嫌いなんです。なので、分からないことはそのままにしない、オフィスアワーには教授を訪ねてコミュニケーションを取るなど、すべきことは必ずする癖をつけるようにしていました。自己満足で大げさかもしれないですが、一生懸命に取り組むことは私の生き方そのもの。学生時代も今も、自分がその時に設定している目標に向かい可能な限り努力をすることが、日々の満足感に繋がるんです。

 
 
 
卒業後の進路については、大学院に行くことも考えたけれど、いつまでも両親に学費を負担してもらうわけにもいかず、「いつかは大学院に戻るかもしれないけれど」と思いを秘めながら、一度日本で就職することに。トレーナーの地位や立場が、アメリカと日本では違ったためトレーナーにはならず、就職活動はスポーツメーカーを中心に始めました。しかし、すでに募集を締め切っていたり、5月卒業を受け入れてくれなかったりと現実は想像以上に厳しかった。その後、頑張れば12月に卒業を早められることが分かって努力をした結果、無事12月に早く卒業できることに。私は卒業時期のマイナス面はフォローできましたが、これから就職活動をする人も5月卒業は不利なこともあるのだということは覚えておいた方がいいですよ。

実際に何社応募したかは覚えていませんが、周りに内定が出始めると焦りが出てきて、業種や希望職種は手当たり次第に広げました。でも今になって考えてみると、採用担当もたくさんの受験者を見ているので、志望度が高くない子は分かる。やっぱり、本心は表情や態度に表れていて、自分の会社に興味がない人材を採るはずがないですよね。採用されないのには、それだけの理由があったんだなと思いますね。

 
 
 
最終的に約15社の面接を受けて、製薬会社「サノフィ・アベンティス株式会社」へ入社しました。配属されたMR(Medical Representative)は、自社の薬剤に関する情報を正確に医療従事者にお伝えして納得してもらったうえで処方に結びつけることが仕事。人前で話す機会が多い仕事の一つなので、アメリカでプレゼンをすることに慣れていたのは有利でしたね。しかし入社3年目の頃、決められた展開の中で商品を紹介してくということが、だんだんストレスに変わり始めたんです。
今、思い返せば、当時の私が若すぎたということなんでしょうね。社会人として5年目になり、仕事に対して3年目とは別の視点ができて仕事がさらに面白くなった今は、MRという仕事においてのクリエイティビティーというものが分かる気がするんです。今の私が、MRとして同じ現場にもどったら全く違う仕事の仕方が出来ると思いますね。

その頃、大塚製薬に入るチャンスが巡ってきました。医薬品ビジネスと消費者商品ビジネスを柱とし、世界の人々の健康に役立とうとする企業理念とスポーツ振興にも役立とうとする姿勢にすごく魅力を感じていた会社。就職活動をしていたときには入れなかったけれど、諦めずに外に向けて動き続けていたらチャンスは訪れた。中途採用の試験を受験する機会を得たのです。試験は筆記試験と面接。筆記試験は難しかったことを覚えています。

入社後は、マーケティング部門に所属し、「カロリーメイト」「ジョグメイト」のアシスタントプロダクトマーケティングマネージャーになりました。営業企画を考えるだけでなく、WEBサイトの構築、工場や研究機関の調整など、仕事の内容は多岐に渡り製品について誰よりも詳しくないと出来ない仕事です。しかし、担当になった当初は、知識は一般消費者の方々と同じレベル。製品に関する社内資料を読むことから始めたものの、ちょうど「カロリーメイト ポテト味」が新発売される前だったので実務も忙しい盛りでした。生産や研究に関することは工場や研究者の方々に教えていただきながら、同時に実地で仕事をこなしていく日々。「出来るだけ同じ失敗はしない。同じことを2度聞かない」と意気込みながらも、覚えることが多すぎて失敗をして、悔し涙をこっそりトイレで流したこともありました。やりたくてもできない人が多い、やりがいのある仕事だからプレッシャーは大きく周囲の目は厳しい。そんな責任も重い仕事だからこそ、努力をして実績を上げたいですよね。今はまだ、経験値も低くてマーケティングを読み解く力も弱い、だけど私らしく全力取り組むことでいつかアシスタントの文字を外すのが今の目標です。

また、上司の意見を受け入れるときは自分の意見をもった上で、と私は考えているんです。商品のための意見を言い合い、納得して行動していくことがいい結果に繋がっていくと思うので、意見はきちんと言うべきだと思う。現職に選ばれた理由が、発言能力にあるとしたら留学経験で選択肢が広がったということですよね。

 
 
 
今、弊社を含めた様々な会社で、グローバル化やダイバーシティについて試行錯誤しています。これから入社する留学経験者たちには、男女問わず努力をすればいいポジションにつけるチャンスがある。だから、どんな企業で、何を実現させたいのかをきちんと考えたほうがいい。「何をしたらいいのか分からない」「何ができるのかわからない」と言って心を閉ざさず前に、広い視野を持って自分の心のヒダに敏感になっていれば、将来の道を決めるヒントは見つかるはず。ささいな興味をきっかけに、おもしろいと思えることに出会うかもしれないし、希望の業界に行けなくても、そこで別の何かが見つかるかもしれない。学生時代は、様々なことに興味をもてるように何事にも全力で取り組んでください。企業側も、英語の能力や成績だけじゃなく、何を体験して何を感じたのか、人間としてどれだけ成長して帰って来られたのかを留学の成果としてチェックしていますよ。