仕事が“志事”になったときに、社会が変わる
日本の活性化の鍵は、志を持った個人や企業のコラボレーション。
一人一人が志をカタチに変える一歩が大切。
政府やメディアが社会のテコとなり出来る事は沢山あるのだ。
 
 
 
 
 
内閣官房
地域活性化統合事務局
主査
渡邉 賢一
 
 
プロフィール
栃木県栃木市生。栃木高校卒業。
大学時代よりラクロスを始め、社会人チームADVANCE-HANGLOOSEにて全国制覇1回、VALENTIAにて全国制覇4回。ラクロス活性化プロジェクト「サムライラクロス」総合プロデューサー。「元気ジャパン」では、遊休農地の開墾や着物街歩き、蔵を映画館に変貌させるプロジェクト等を推進中。鎌倉にて築80年の古民家を再生し在住。
 
 
 
 
朝日新聞社に在籍し、メディアとして社会的な課題の解決に取り組む傍ら、渡邉さんは2002年、プライベートでも「日本を元気に!元気を日本から!」をコンセプトに、日本の元気づくりに取り組むプロジェクト『元気ジャパン』を始めた。以来、個人、企業を問わず、「日本を元気にしたい!!」という共通の志を持つ多くの有志者とともに、人、地域、食、農業、学び、国際交流、さらにはスポーツなど、ありとあらゆるジャンルで「元気」作りの種まき活動を行っている。そして2008年4月より、内閣官房、地域活性化統合事務局、主査と肩書きを変え、地域の活性化をはじめ、日本が直面する社会的なテーマの解決に向け日々取り組んでいるのである。


―渡邉さんは内閣官房地域活性化統合事務局で、どのような活動を行っているのですか?


 「地域の課題を解決するために、主に政府や自治体、企業、NPO、メディアと連携しながらプロジェクトを興したり、推進したりするコーディネートとプランニングを行っています。
 具体的には、最近の事例ですと、福井県鯖江(さばえ)市の地域の活性化をコーディネートしました。鯖江市は、メガネフレームのシェアが国内で約96%、世界でも約20%と、世界有数のメガネの産地であるにも関わらず、若者への認知度向上や後継者問題、ブランド力の改善など課題がありました。そこで、東京ガールズコレクションと、有名デザイナーの方々にご協力頂き、鯖江市のオリジナルサングラスを開発し、会場にて大々的に発表ならびに販売しました。ここでの私の主な役割は、この企画を数多くの関係者の方々と共にプランニングし、最も最適なバリューチェーンを繋ぎ合わせること。鯖江市のメガネの製造技術は元々世界最高峰です。「sabae EYE WARE COLLECTION」で出展した同市のサングラスは、瞬く間に世間の注目を集め、同市に新しい可能性を創出することができました。
 この事例のように、社会的な課題の解決をするためには、企業や行政、メディア、市民が志で繋がり、有機的にコラボレーションしてゆく事が大切です。私も政府の一員として信念をもってコーディネートを推進しています」



―社会的な課題を解決する時にどういった事を心がけているのでしょうか?


 「やはり最も肝心なことは、志をもって課題の解決に臨む方々がどれくらいいるかです。
 ソーシャルテーマへの取り組みは、通常の企業活動とは異なり、価値を数値化することができません。金銭的な利益や短期的な費用対効果というよりは、社会的な利益の実現を目指すものです。となると、やはり最終的には人間の内なる部分である『志』や熱い想いが重要となるのです。『志』を共有できないようなプロジェクトでは、協力体制を築くことはできません。
 また志とは、必ずしも個人にのみ存在するものでもなく、法人や行政、メディアにも存在します。私は、“個人”と“国”と“企業”と“教育”と“メディア”、社会に特に影響を与えるこの5つが、同じ志のもとに手を繋ぐことができれば、ものすごいスピードで社会を変化することができ、そこには何重もの相乗効果が生まれると考えています。そのため、企画を考案する際は、この5つを常に頭に置いて、すべてに関わってもらえるような企画を練っています」
 
 
―社会を元気にしてゆくための、ソーシャルコーディネートやプランニング活動は、プライベートで取り組んでいる『元気ジャパン』から始まっていますよね。なぜ、この活動をやってみようと考えたのですか?

 「社会が抱えるソーシャルテーマの中には、一人の力では困難でも、複数の人や企業が協力し合うことで、解決に向けて前進できるテーマがたくさんあると思っていたんですね。私は、社会問題を解決できるモノを発明する科学者にも、ましてや社会の構造を変える英雄にもなれませんが、社会的なテーマを解決するようなプロジェクトを考え、人と人とを繋ぎ合わせることなら役に立てるのではないか、と考えていました。体で例えるなら関節、脳で例えるならシナプス、自然で例えるなら風としての役割になりたいと考えました。日本を元気に、そして元気を日本から伝えてゆくために、社会的な使命感を持ったプロとしてのコーディネーターやプランナーが必要ではないかと考え、それならば自分でやってみようと思ったのがきっかけです。
 それと私は、現代は、明治維新や戦後と同じく、大変革期であると感じています。その様な中、志を持って何かをすることは、非常に重要だと思っているんですね。私はこれを『志事』と呼んでいます。当時、朝日新聞社に務めていた私は、メディアとしてソーシャルテーマに「仕事」として関わる自分の他に、もう一人、『志事』を行う自分を作り、その活動を『元気ジャパン』として始めることにしたのです」



―現在、心がけている事があったら是非教えて下さい。

 「政府として様々な活動を推進するため、これまでよりも大規模なプロジェクトに携わる機会が増えました。今まで以上に責任感と使命感を感じながら仕事をしています。そして国際社会の中での日本を強く意識しています。これは地域活性化においても重要な視点ではないでしょうか。未曾有の大不況で世界経済が冷え込む中、アフリカ諸国をはじめ、多くの国から、いま日本は、飢餓や環境の問題など、世界が抱えるソーシャルテーマへの取り組みをとても期待されているんですね。ただ私は、日本の底力というのは、まだまだこんなものではないと思っているので、地方ももっと活性化できるし、世界が抱える社会問題にも今まで以上に貢献できると考えています。日本にはまだまだ伸びしろが十分あるんです。日本には世界に誇る優れた技術や文化芸能がたくさんあり、エコ技術だって世界一なのですから。様々な分野の方々が、志のもとに手を繋げば、そこには必ず相乗効果が生まれると思います。日本を元気に、元気を日本から発信できるよう、今後も精一杯、がんばってゆきたいと思います」
 
「元気ジャパン」の活動に参加した若者たち(元気ジャパン農園にて)
 
渡邉氏の主なキャリア
 
 
 
 
 
1995年
学習院大学経済学部卒業
専攻:食料経済学
ラクロス部を創設し、初代主将。

1995年~
国際電信電話(現:KDDI)に入社

1997年~
朝日新聞社に転職
広告局にて新規開拓、デジタルメディア等を担当

2001~2002年
1年間休職し、アメリカへ留学
カリフォルニア大学サンディエゴ校にて社会価値学、ミーティングプランナー学、ホスピタリマネジメント学を修了。その後ワシントン大学にてBUSIPを修了。

2002年~
留学から帰国後は、朝日新聞社広告委員に就任。
プライベートでは日本を元気にするプロジェクト「元気ジャパン」を2002年より主宰。

2008年4月
内閣官房に出向
地域活性化統合事務局主査。