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日本のコンテンツが海外展開するための、新しいビジネスモデルを作る。
この大きなプロジェクトのために敢えて小さな会社を選択し、挑戦し続ける森氏は、
仕事を行う上で欠かせないことは“エキサイティングネス”だと語った。
この大きなプロジェクトのために敢えて小さな会社を選択し、挑戦し続ける森氏は、
仕事を行う上で欠かせないことは“エキサイティングネス”だと語った。

株式会社シンク
代表取締役社長
森 祐治
代表取締役社長
森 祐治

株式会社シンク 代表取締役社長。
米国ゴールデンゲート技術経営大学院(通信・メディア)およびニューヨーク大学大学院テクノロジー&コミュニ ケーション研究Ph.Dプログラムへ奨学生として留学。ニューヨークで、ネット関連ベンチャーの立ち上げを経験した後、日米のマイクロソフトでネット事業 企画及び事業戦略企画部門、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、「コンテンツ・キャピタル・カンパニー」を標榜する株式会社シンクの代表取締役へ。2011年4月から、広告代理の世界大手である電通の100%子会社電通コンサルティングのディレクターへ就任した。
シンクでは、有限責任事業組合制度を利用したコンテンツ制作投資事業「動画革命東京」の開始、経済産業省からの委託を受けたアニメ制作工程管理シ ステム「GreenLight」の開発、ソニーなどグローバルブランドカンパニーCSRサイトの企画開発といったユニークな活動により、政府から「ハイ サービス300選」企業のひとつとして選定された。
米国ゴールデンゲート技術経営大学院(通信・メディア)およびニューヨーク大学大学院テクノロジー&コミュニ ケーション研究Ph.Dプログラムへ奨学生として留学。ニューヨークで、ネット関連ベンチャーの立ち上げを経験した後、日米のマイクロソフトでネット事業 企画及び事業戦略企画部門、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、「コンテンツ・キャピタル・カンパニー」を標榜する株式会社シンクの代表取締役へ。2011年4月から、広告代理の世界大手である電通の100%子会社電通コンサルティングのディレクターへ就任した。
シンクでは、有限責任事業組合制度を利用したコンテンツ制作投資事業「動画革命東京」の開始、経済産業省からの委託を受けたアニメ制作工程管理シ ステム「GreenLight」の開発、ソニーなどグローバルブランドカンパニーCSRサイトの企画開発といったユニークな活動により、政府から「ハイ サービス300選」企業のひとつとして選定された。
マイクロソフト社からマッキンゼーへ。森氏がこれまで歩んできたキャリアは、実に華やかだ。
米マイクロソフト社在籍時には、まだインターネット創成期であった日本へ出向し、インターネット事業者らとともに、広告のルールなど日本のインターネット ビジネスの基礎を作り上げた。そして、ヘッドハンティングで活躍の場を移した、米大手コンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーでは、世界 のビジネスの最先端に身を置き、ファイナンスをはじめとするビジネスの総合知識を養った。そんな、まさに“超”が付くエリート街道を歩んできた森氏が、 マッキンゼーの後、次のキャリアに選んだのは日本のベンチャー企業、株式会社シンクであった。森氏は同社の代表取締役社長として、日本のアニメをはじめとするコンテンツが世界へ展開するために必要なビジネスの『仕組み』作りに尽力した。
その後、運用したコンテンツファンドの終了に伴い、同社を解散。この春から、広告代理店の世界的な大手である電通の100%子会社である電通コンサルティングのディレクターに就任した。同社はでは、メディア・コンテンツ・セクターをはじめとする幅広いクライアントに対して、新しいビジネス・デザインの提案をしている。
以下のインタビューは、シンク代表取締役当時に実施したものである。
―マッキンゼーから次のキャリアをお考えになられた時、そこには非常に幅広い選択肢があったと思います。その中から日本のベンチャー企業、さらにはアニメをはじめとするコンテンツビジネスをお選びになったのには、どのような考えがあったのでしょうか?
「日本のコンテンツビジネスの仕組みは、世界から見ると非常に特殊で、日本から海外へ、海外から日本へも、スムーズに展開ができない状態にありました。私は、これを海外へと展開できるモデルへ転換したかった。ひと言で言うと、これがシンクを選んだ理由となります。
私はもともとメディア・コミュニケーションの研究者でしたので、客観的な視点にはなるものの、日本のメディアの仕組みには精通していました。また、マッキンゼー時代には、外国企業が日本のメディア市場へ参入を挑み、数年後に撤退していくという光景を幾度と見、実際に日本市場へ飛び込み、帰っていった彼ら自身から何が問題だったのかを聞くこともできたんですね。こういったこともあり、日本のメディア・コンテンツのビジネスが海外市場と相容れない理由を、客観的に分析できていたのです。
そして、もしこの問題を解決するビジネスの『仕組み』を作ることができれば、非常に大きな可能性があると感じていま した。そこで「ビジネスモデル+コンテンツ+海外」、「ファイナンス+コンテンツ+テクノロジー」と、まだ日本のコンテンツビジネスでは存在しなかった、 新しい組み合わせのビジネスモデル、スタイルを作ろうと考えたわけです。
また、ビジネスを行う上で非常に重要となる“商材”という観点から見 て、作品としては海外から高い評価を得ているにも関わらず、あまり商材として扱われていない『日本のアニメ』は、非常に面白い存在だと思いました。アニメ 業界は、昭和58年頃から始まった少子化で内需が頭打ちになるのは目に見えていましたが、海外市場へ注目している人はほとんどいませんでしたし、その見方 は完成製品の輸出へと非常に偏っていました。その点さえクリアできれば、アニメはコンテンツビジネスの中では比較的歴史が長く、ライブラリもそろっている ためアウトプットが出しやすい。さらには制作プロセスが極めて労働集約型であるため、その効率化の可能性ともに、非常に魅力を感じました」
―仕組み作りとなりますと、大企業の方が有利な気がします。森さんのキャリアであれば、そのチャンスも十分あったように思えますが。
「確かに、そういった企業さんからもお声をかけて頂いてはいたのですが、私はむしろ逆の発想で、大企業に入ってしまったら、新しい仕組みを作るのは難しいと 思っていました。というのも、アニメの主要な流通ルートである放送メディアが規制産業である以上仕方がない部分もあるのですが、当時のメディア業界は、イ ンターネットやモバイルの発達に伴い、グローバル化やコンテンツ間のボーダレス化が急速に進んでいるにも関わらず、しきたりや商習慣でがんじがらめで、新 しいモノが入り込む隙がまったくなかったのです。このことはマイクロソフト時代、ネットと放送の連携を提案しにいった際に、門前払いに遭い、このことを痛 感しました。そのため、メディア業界の中心にある大企業内部で新しいことを提案しても、「今の大きなビジネスをやっていた方がもうかる」と、圧力で何もで きないだろうと考えていました。それならば、規模は小さくてもメディア業界の中心から少し外れていて、業界のコネクションを多く持っている会社の方が、革 新的なモデルを実現する可能性は高いと思ったのです。そこで、オーナーとその周りの方々が私の考えに共感してくれるシンクに参加し、「コンテンツ・キャピタル・カンパニー」を標榜することを選択したのです」
―森さんが掲げる、海外へ展開できるビジネスモデルとは、どのようなものなのでしょうか?
「海外との共同制作で展開していくモデルです。言い換えますと、これまでのように完成品を売るのではなく、日本の優秀な人材のスキルや発想力を売っていくモデルです。
アニメなど、思想に影響を与える文化的商品では、あまりに一方的に日本の商品が流れすぎると、海外から文化的侵略と捉えられ、商品がシャットアウトされて しまう可能性があるのです。現に、世界中の様々な国で過去に日本のアニメの放映が禁止されたことがありますし、大半の国では、他国のコンテンツの放映を抑制する規制があります。
しかし共同制作で、共同開発国の文化や政治的背景を踏まえて制作すれば、文化的侵略と捉えられることはありません。これが私たちが目指した、コンテンツの海外展開のモデルです。今は、国内で投資をした企画を海外企業に共同開発を提案したり、各国で異なるファイナンスの体系をブリッジできる新しい手法を作ったりしています」
―実際に新しいモデル作りに取り組んでみて、当初の思惑と異なる部分はありますか?
「本当にこれほどまでに海外との連携が整備されていないとは思っていませんでしたね(笑)。ほぼゼロからでしたので、当初の思惑よりも苦労をしていま す。ただ、やはり仕事はエキサイティングネスが一番重要だと思うのです。」
米マイクロソフト社在籍時には、まだインターネット創成期であった日本へ出向し、インターネット事業者らとともに、広告のルールなど日本のインターネット ビジネスの基礎を作り上げた。そして、ヘッドハンティングで活躍の場を移した、米大手コンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーでは、世界 のビジネスの最先端に身を置き、ファイナンスをはじめとするビジネスの総合知識を養った。そんな、まさに“超”が付くエリート街道を歩んできた森氏が、 マッキンゼーの後、次のキャリアに選んだのは日本のベンチャー企業、株式会社シンクであった。森氏は同社の代表取締役社長として、日本のアニメをはじめとするコンテンツが世界へ展開するために必要なビジネスの『仕組み』作りに尽力した。
その後、運用したコンテンツファンドの終了に伴い、同社を解散。この春から、広告代理店の世界的な大手である電通の100%子会社である電通コンサルティングのディレクターに就任した。同社はでは、メディア・コンテンツ・セクターをはじめとする幅広いクライアントに対して、新しいビジネス・デザインの提案をしている。
以下のインタビューは、シンク代表取締役当時に実施したものである。
―マッキンゼーから次のキャリアをお考えになられた時、そこには非常に幅広い選択肢があったと思います。その中から日本のベンチャー企業、さらにはアニメをはじめとするコンテンツビジネスをお選びになったのには、どのような考えがあったのでしょうか?
「日本のコンテンツビジネスの仕組みは、世界から見ると非常に特殊で、日本から海外へ、海外から日本へも、スムーズに展開ができない状態にありました。私は、これを海外へと展開できるモデルへ転換したかった。ひと言で言うと、これがシンクを選んだ理由となります。
私はもともとメディア・コミュニケーションの研究者でしたので、客観的な視点にはなるものの、日本のメディアの仕組みには精通していました。また、マッキンゼー時代には、外国企業が日本のメディア市場へ参入を挑み、数年後に撤退していくという光景を幾度と見、実際に日本市場へ飛び込み、帰っていった彼ら自身から何が問題だったのかを聞くこともできたんですね。こういったこともあり、日本のメディア・コンテンツのビジネスが海外市場と相容れない理由を、客観的に分析できていたのです。
そして、もしこの問題を解決するビジネスの『仕組み』を作ることができれば、非常に大きな可能性があると感じていま した。そこで「ビジネスモデル+コンテンツ+海外」、「ファイナンス+コンテンツ+テクノロジー」と、まだ日本のコンテンツビジネスでは存在しなかった、 新しい組み合わせのビジネスモデル、スタイルを作ろうと考えたわけです。
また、ビジネスを行う上で非常に重要となる“商材”という観点から見 て、作品としては海外から高い評価を得ているにも関わらず、あまり商材として扱われていない『日本のアニメ』は、非常に面白い存在だと思いました。アニメ 業界は、昭和58年頃から始まった少子化で内需が頭打ちになるのは目に見えていましたが、海外市場へ注目している人はほとんどいませんでしたし、その見方 は完成製品の輸出へと非常に偏っていました。その点さえクリアできれば、アニメはコンテンツビジネスの中では比較的歴史が長く、ライブラリもそろっている ためアウトプットが出しやすい。さらには制作プロセスが極めて労働集約型であるため、その効率化の可能性ともに、非常に魅力を感じました」
―仕組み作りとなりますと、大企業の方が有利な気がします。森さんのキャリアであれば、そのチャンスも十分あったように思えますが。
「確かに、そういった企業さんからもお声をかけて頂いてはいたのですが、私はむしろ逆の発想で、大企業に入ってしまったら、新しい仕組みを作るのは難しいと 思っていました。というのも、アニメの主要な流通ルートである放送メディアが規制産業である以上仕方がない部分もあるのですが、当時のメディア業界は、イ ンターネットやモバイルの発達に伴い、グローバル化やコンテンツ間のボーダレス化が急速に進んでいるにも関わらず、しきたりや商習慣でがんじがらめで、新 しいモノが入り込む隙がまったくなかったのです。このことはマイクロソフト時代、ネットと放送の連携を提案しにいった際に、門前払いに遭い、このことを痛 感しました。そのため、メディア業界の中心にある大企業内部で新しいことを提案しても、「今の大きなビジネスをやっていた方がもうかる」と、圧力で何もで きないだろうと考えていました。それならば、規模は小さくてもメディア業界の中心から少し外れていて、業界のコネクションを多く持っている会社の方が、革 新的なモデルを実現する可能性は高いと思ったのです。そこで、オーナーとその周りの方々が私の考えに共感してくれるシンクに参加し、「コンテンツ・キャピタル・カンパニー」を標榜することを選択したのです」
―森さんが掲げる、海外へ展開できるビジネスモデルとは、どのようなものなのでしょうか?
「海外との共同制作で展開していくモデルです。言い換えますと、これまでのように完成品を売るのではなく、日本の優秀な人材のスキルや発想力を売っていくモデルです。
アニメなど、思想に影響を与える文化的商品では、あまりに一方的に日本の商品が流れすぎると、海外から文化的侵略と捉えられ、商品がシャットアウトされて しまう可能性があるのです。現に、世界中の様々な国で過去に日本のアニメの放映が禁止されたことがありますし、大半の国では、他国のコンテンツの放映を抑制する規制があります。
しかし共同制作で、共同開発国の文化や政治的背景を踏まえて制作すれば、文化的侵略と捉えられることはありません。これが私たちが目指した、コンテンツの海外展開のモデルです。今は、国内で投資をした企画を海外企業に共同開発を提案したり、各国で異なるファイナンスの体系をブリッジできる新しい手法を作ったりしています」
―実際に新しいモデル作りに取り組んでみて、当初の思惑と異なる部分はありますか?
「本当にこれほどまでに海外との連携が整備されていないとは思っていませんでしたね(笑)。ほぼゼロからでしたので、当初の思惑よりも苦労をしていま す。ただ、やはり仕事はエキサイティングネスが一番重要だと思うのです。」


1988年
国際基督教大学卒業。NTT入社。
1991年
国際基督教大学大学院、博士前期課程へ。同大学助手を経験。
1992年
米国ゴールデンゲート技術経営大学院(通信・メディア)およびニューヨーク大学大学院テクノロジー&コミュニケーション研究Ph.Dプログラムへ奨学生として留学。
1995年
ニューヨークで、ネット関連ベンチャーの立ち上げを経験。
1997年
米マイクロソフト入社。
ネット事業企画及び事業戦略企画部門を担当。
1999年
ヘッドハンティング会社から、米大手コンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーからのオファーを受け、同社に入社。
2005年
早稲田大学の研究員を経て、株式会社シンクの代表取締役に就任。コンテンツ・クリエーターの活動と海外展開支援を行う「動画革命東京」事業を開始し、コンテンツ・ファンドを運営。
2011年
電通コンサルティングにディレクターとして参加。
ほかにも、デジタルハリウッド大学大学院(デジタルコンテンツマネジメント研究科)、慶応大学大学院(メディアデザイン研究科)、青山学院大学大学院(国際マネジメント研究科)などで教鞭も執っている。
国際基督教大学卒業。NTT入社。
1991年
国際基督教大学大学院、博士前期課程へ。同大学助手を経験。
1992年
米国ゴールデンゲート技術経営大学院(通信・メディア)およびニューヨーク大学大学院テクノロジー&コミュニケーション研究Ph.Dプログラムへ奨学生として留学。
1995年
ニューヨークで、ネット関連ベンチャーの立ち上げを経験。
1997年
米マイクロソフト入社。
ネット事業企画及び事業戦略企画部門を担当。
1999年
ヘッドハンティング会社から、米大手コンサルティング会社、マッキンゼー・アンド・カンパニーからのオファーを受け、同社に入社。
2005年
早稲田大学の研究員を経て、株式会社シンクの代表取締役に就任。コンテンツ・クリエーターの活動と海外展開支援を行う「動画革命東京」事業を開始し、コンテンツ・ファンドを運営。
2011年
電通コンサルティングにディレクターとして参加。
ほかにも、デジタルハリウッド大学大学院(デジタルコンテンツマネジメント研究科)、慶応大学大学院(メディアデザイン研究科)、青山学院大学大学院(国際マネジメント研究科)などで教鞭も執っている。