メタバースという3次元仮想世界の概念に、今後の大きな可能性を見出した
第一人者・三淵啓自さん。
ご本人曰く「リアルとサイバーの中間」というメタバースは、
今までのような机上の情報だけの社会ではないという。
そんな自身も、パソコンだけの情報をすべてだと思ってはならないと警告する。
それは、若い頃に、留学という体で得た貴重な経験をしたことが根幹となっている。
そんな三淵さんに、かつての留学で感じたこと、
また、今留学している人たちへ就職・転職・キャリアアップについてお話して頂いた。
 
 


プロフィール

1961年東京生まれ。陸上自衛隊少年工科卒業後、防衛大学入学。中退後、渡米しサンフランシスコ大学へ。さらに、スタンフォード大学大学院を経て、米オムロン社にて、人工知能や画像認識の研究に携わる。退社後、シリコンバレーでベンチャー企業(トライユニティー社、3WConcepts社)を設立。その後、日本で日本ウェブコンセプツ社、米国で3U.com社を設立し、最先端のWebシステムを手掛ける。2004年、デジタルハリウッド大学院大学専任教授に就任。メタバースの日本での普及に尽力。2008年、メタバース協会を設立し、常任理事に。著書に「セカンドライフの歩き方」(アスキー)、「セカンドライフビジネス成功の法則ーだからみんな失敗した!」(ディーエイチシー)、「仮想社会にようこそ!セカンドライフ探検ガイド」(実業之日本社)などがある。
 
 
 
 
 3次元仮想世界・メタバースといえば、コンピュータ社会の次世代を担う、さまざまな可能性を含んだ概念。その日本での旗手が三淵さんというのだから、日々、パソコンと向き合うインドアな人を想像するが、実は何とそのスタートは自衛隊。
 三淵さんの経歴に目を通すと、そこには「陸上自衛隊少年工科学校から防衛大学、中退後、渡米」とある。このユニークな経歴を質問すると・・・。

 「よく取材を受けると、まずはそこに注目されるんですよ」

と笑う三淵さん。

 「父が陸士の出だったということもあるんですけど、それ以上に好奇心ですかね。当時からちょっと変わった子でしたから(笑)。たぶん、普通の人は、陸上自衛隊少年工科学校って知らないと思うんですよね。これって、実は高校じゃない。つまり、文部科学省の管轄じゃないんです。ですから、高校を卒業したという証明を得るために、提携している別の高校の通信制も並行して取らされる。ちょっと変わったシステムなんですね。この学校のいいところは、実践的なことが学べること。防衛庁の管轄なものですから、将来、自衛隊でそのまま働けるような、電子技術や航空機の実践技術も教えてもらえる。電子工学を学びたいとその頃から思っていた私にとっては、理論だけではなく実践も、というのが魅力的でした」

 高校生の段階で早くも、常識とは違う目線で未来を見つめていたということか。

「そんなに大袈裟なことじゃないですけどね。若かったこともあって、『将来、世界を相手にして仕事をしていくには体力だ!』なんて思ってたんですよ(笑)。この学校、自衛隊の高校みたいなものですから、とにかく体は鍛えられる。それともう一つ、自衛隊の下部組織的な考えなので、特別国家公務員としてお金も支払われるんです。つまり、学びながら貯金ができる。寮生活でお金はまったくといっていいほど使いませんからね。当時から、留学を考えてましたから、高校生活で貯金ができるのは助かりますからね。ちょっと俗な理由ですけど、でも、これは大きかったですね」



 
 
 電子工学に興味を持ち、それを突き詰めるために留学も視野に入れていた三淵さん。一見、関連のなさそうな陸上自衛隊少年工科学校という選択も、そのための布石だったのである。その後の、防衛大学も、もちろん、そのレール通りかと思いきや・・・。

「実は、防衛大学しか受けられなかったんです。これは誤算でした。私たちは特別国家公務員、すなわち24時間勤務で働いているわけですから、勝手に学校を休むことができない。禁じられているんです。つまり、平日に入試を行う一般の大学は受けられないんですよ。外出許可が下りないんです。そんな中、唯一許可されるのが防衛大学への進学なんです」
 
 これは国側に立って考えてみれば、税金を使って育てた学生が、自衛隊の勤務につくことなく、まったく関係のない一般の大学に行くというのは、いかがなものかといったところだろう。
 通信制は4年であるため、3年間の少年工科学校卒業後にすぐ大学を受けたい人は、当然ながら大検を受けなければいけない。そうでなければ、1年間自衛隊勤務をしながら通信制の卒業を待つことになる。三淵さんは前者を選択した。つまり、この段階で特別国家公務員を辞職したのだ。そこまでして入った防衛大学だったが、ここは三淵さんの場所ではなかった。やりたいことに限界があったのだ。それがわかった時、三淵さんの目は、すぐに海外に向いた。やりたかった分野の最先端は、当時、日本ではなかったからだ。

  「陸士出の父にはずいぶん説得されました。少年工科学校に入った時は相当喜んでましたから。それがたった3年ですからね。でも、私にはやりたいことがあった。それは親であっても譲れなかったですね」

 少年工科学校、防衛大学と、留学までに、人とは違う、苦労や経験もしたが、それは決してムダではなかったという。今思えば貴重な経験だったと。

  「結果論ですけど、この流れがなければ、普通の大学に入って、留学も思いとどまったかもしれませんしね」
 
 
 
 
 
  シリコンバレーのほど近く、サンフランシスコ大学へ入るべく、まずは同大学内の語学学校へ入った。なぜなら、英語がまったくできなかったからだ。
「英語ができないのに何でアメリカの大学?って言われるんですけど、アメリカの方がどうにかなるんですよ。幸い、数学はできたので、その点数だけでも専門は何とかなる。ただ、意志の疎通、コミュニ ケーションができないとどうしようもないんで、TOEFLをクリアする程度までは語学を学ばなければならなかったんです」

 でも、それも半年ぐらいのことだった。語学学校在籍中も、大学のクラスを受講することができたため、大学入学前から数学などの専門分野は次々と単位を取得するという方法をとった。
「相変わらず英語はスレスレでしたけど、私の専門ではそれほど問題にならない。数学は世界共通ですからね。その分、気も楽だったかもしれません。さすがに文学を専攻して英語ができません・・・。じ ゃあ問題ありますからね」

 大学に入ってからは、好きな数学、好きな電子工学、そしてコンピュータ工学と、毎日、学ぶことが楽しく、次々と頭角を現していく。大学に通い出してすぐにメインフレームのプログラミングを任されるようになり、2年目にして、そのメインフレームの管理者としての権限までもらった。大学院はスタンフォード一本。担当教授には無謀だとも言われたが、大学時代の実績と教授陣の推薦によって見事合格。ほとんど英語ができなかった若く三淵青年は、自分の得意分野だけで突き進んだと言っても過言ではない。



 
 
「語学ができないから留学できないなんてウソですよ。何か一つ、自分の得意分野があれば、語学は後からついてきます。その得意分野を伸ばしてあげようと、周りがみんなでサポートしてくれるんです。それに、語学なんて若い頃はなんとかなるんですよ。脳も元気ですから。英語だらけの環境に置かれれば自然に覚えます。友だちができれば友だちがどんどん教えてくれますし。日本人だけで固まってる人は難しいかもしれませんけどね」

 海外留学のポイントは目的意識だという。現実逃避で行くのか、目的意識を持って行くのかの違いだ。

 「現実がいやだから…というのはいいんです。日本の環境がいやだから留学したい。これはいい。ただ、ここで考えなければならないのは、ただいやだから逃げるために留学するのでは失敗するということ。実は私の場合も、当時、アメリカよりは進んでいないにしろ、国立大学なら自分のやりたいことがやれたかもしれない。でも、そこに入るには英語ができなければまずムリ。でも、アメリカなら、専門の数学ができれば入れそうだった。ある意味、日本の環境が私には厳しかったから留学したともいえるんです。あの時、電子工学を学びたいという目的意識が希薄だったら、毎日囲まれる英語にウンザリしていたかもしれません。苦手な英語と毎日戦わなければならないんだという強迫観念に押しつぶされていたかもしれない。でも、私には数学が学べる、電子工学が学べるという、ワクワクすることがあったから、苦手な英語を話すのも苦にならなかったんです。解決策を探しに行くのと、逃げるだけで行くのとでは、行ってからの意識がまるで違うんですよね」



 
 
 そして、もう一つ。三淵さんが、確信していることがある。

「ネット社会で、パソコンを開けば世界中の情報が入ってきます。でも、それを見ただけですべてがわかったと思うのは大間違いです。机の上の知識と実際に行ってみて体験したことではまったく違うといっていい。ネットの知識なんて世界で起こっていることのほんの一部ですよ」

 IT界の気鋭が放つこの一言は大きい。インターネットの未来を担う三淵さんにあってなお、体を使って得た情報の方が尊いというのだ。実は三淵さんが普及に努めているメタバースも、このリアル社会を大切にしているもの。ご本人曰く「リアルとサイバーの中間世界」だという。インターネット情報のような、一方的に流されている世界、または、ゲームのように決められた世界ではなく、現実世界と同様に、常に予測の出来ない、生きている世界。それがメタバースの根幹だ。すなわち、自分が動かなければはじまらない。これはリアルに近い世界であり、逆に言えば、現実世界で生きている我々は、メタバース以上に、自分で動き、体で得た知識や情報を身につけるべきなのであろう。

 「今の人たちは、本や雑誌やネットで得た情報だけで、何も動かないうちに、やってもムダだとあきらめる。神様じゃないんですから、先のことなんて誰もわからないんです。特に若い頃なんて、肉体も脳も柔軟性があるんで、ムリをすればできるようになるんですよ。それをもっとみんなにわかってほしいですね。そういう意味でも、留学は絶対にチャンス。体で実際の世界を知ることができるんですから。今は費用的にも昔ほど大変ではなくなっていますし、親も理解を示す時代です。このチャンスを見逃す手はありません。ぜひ、若いウチに、世界を見てきて欲しいですね」

 やってみる前に答えを出す若者が多いという。それは溢れる情報の渦に巻き込まれ、それがすべてだと思っているからではないかと分析する。しかし、その情報というのは、所詮、誰かが作ったモノ。誰かが自分の感性で発表したモノに過ぎない。自分で見たモノではないはずだ。自分の目で見てはじめて、自分が何をすべきかもわかってくるという。 ただ、自分の目で見て自分の考えで行動するということは、人とは違う意見になったりすることもある。

「それを怖れてはいけません。人とは違う意見ということは、新しいこと、面白いことの発見につながることが多い。みんなが向いているところに面白いことはありませんからね。自分の見たモノ、感じた体験、それを積み重ねた自分を信じてあげて下さい」