幼い子供の育児をしながらスタンフォード大学へ留学。
その後、シリコンバレーでの起業、事業の成功を経て、
ネットイヤーグループCEOとして、インターネットを核に
企業のマーケティング戦略等を支援する石黒不二代さん。
今の自分があるのは、やはり留学の経験が大きいと語る石黒さんだが、
アメリカでの留学で、どんなことを感じ、何を学び取ってきたのだろう。
その経験を踏まえながら、今、留学しているみなさんへ就職・転職についてアドバイスを頂いた。
 
 



プロフィール

ネットイヤーグループ株式会社 代表取締役社長 兼CEO。名古屋大学経済学部卒業後、数々の勤務経験を経て、スタンフォード大学に留学しMBAを取得。コンサルティング会社を起業した後、ネットイヤーグループに参画。2000年より、代表取締役として大手顧客へのインタラクティブマーケティングに関するソリューションを提案し、独自のブランドを確立する。「言われた仕事はやるな!」(朝日新書)をはじめ、著書、寄稿多数。現在、経済産業省IT経営戦略会議委員、経済産業省産業構造審議会情報分科会委員としても活躍。
 
 
 
 
 

 石黒さんの留学のきっかけのひとつが、出産だったということは、興味深い。普通であれば、留学を思い立っても、出産という一大事があれば、そこ で延期したり、あきらめてしまったりする人の方が多いのではないかと思うのだが…。

「出産してあらためて、この国では働く女性の子育てはムリだって思ったんです。ですから、私が留学を決めたのは、大袈裟に言えば『日本への怒り!』ですかね(笑)」

 それまで、男性と遜色なく、むしろ男性以上の仕事をこなし、評価も上げてきた石黒さん。当然、結婚をし、出産をしても、同じよ うに仕事をして、家事・育児との両立もできるものだと考えてきた。石黒さん本人は、やる気満々だったし、自分でできると信じてきた。
 しかし、日本の制度は冷たかった。というよりも、当時、石黒さんのように確固たる意志で仕事に取り組む女性が少なかったのかもしれ ない。だから、保育所の制度は、せいぜい夕方に終わるパートの主婦に合わせたようなもの。18時に迎えに行かなければならないというのは、外資系で残業は少ないとはいえ、マネージャーとして働く石黒さんにとっては、とても間に合う時間ではない。あなたの子供は預かれないといわれているようなものだった。

「区役所に電話して『どうしたらいいでしょうか?』って相談したんです。そしたらその答えが『勤務先の近くにも預けられますから』。0歳の子供を毎日満員電車に乗せるなんて、考えられませんよね。怒りを通り越してあきれちゃいました」

 この国で仕事と子育てを両立するのはムリだ。アメリカへ行こう。そう思い立って、2年間の猛勉強が始まった。保育所がそんな状態だったため、留学までの間は、家族にも協力を仰いだ。しかし、いつまでも甘えてはいられない。できるだけ早くアメリカに渡らなければ。

「あの時は、本当に勉強しましたね。今やれって言われてもできません(笑)。朝5時に起きて勉強して、夜は仕事の後、予備校にも通って、電車の中でも、歩きながらでも問題集を解いてましたから」

 そのかいあって、願書を出した10校中9校に合格。第一志望だったスタンフォード大学に留学した。




 
 
 

「アメリカに行って、本当に日本とはまったく違うんだと実感しました。アメリカは親の監督責任が大きいんです。だから、企業にも社会にも、働く親をサポートするシステムがある。それに男性も普通に子供を迎えに行くから、仕事をしていても、夕方6時になったら帰っても何もいわれない。そんな帰りやすいムードがあるんです」

 最初は卒業したら日本に帰るつもりでいた石黒さんだったが、そんな状況を目の当たりにし、そしてシリコンバレーのカルチャーに触れることで、このままアメリカでやっていこうという気持ちが強くなっていった。 とはいえ、スタンフォードの授業は、決してやさしいものではなかった。特にか「英語は本当に苦手だった」という石黒さんにとって、最初の頃は、何の議論が展開されているのかすらわからなかったという。

「今さらですけど、『ああ、先生って英語で喋るんだ…』って(笑)。とにかく発言しないと認められないという風潮がありましたから、前の日にちゃんと予習をして、明日は手を挙げてコレを言うぞ!とか、こんな質問しちゃおう!とか、意気込んでるわけですよ。でも、翌日授業に出ると、みんなの話すスピードや議論の流れについてゆけない。だから、どこで手を挙げていいかもわからない。せっかく予習したのに、結局、一言も発言できずに終わったりするんですよ」

 授業もままならないと、めげていてはいけない。活動の範囲は、当初の計画どおりすすめようと、学生が運営するハイテククラブに入る。後に、スティーブ・ジョブスなどが講義にやってきたりと、石黒さんの人脈や、今にいたる仕事にも大きな影響を与えたクラブだが、当時の石黒さんにとっては、まず好きなことをすることが英語の能力向上にもつながった。

「とにかく、英語を上達させたいなら、日本人のコミュニティには近づかないことだと自分に言い聞かせてました。せっかく英語に慣れても、そこでまた日本語の頭に戻ってしまう。だったら当分は英語漬けになろうと思ったんです」

 そのかいあって、みるみる上達していったが、それは友人たちの協力によるところが大きかったという。

「スタンフォードの校風といいますか、シリコンバレーの風土といいますか、常に『競争より協調』という意識があるんです。例えば、誰かが落第しそうだとすると、それが口コミで広がって、いろんな人がよってたかって手を差し伸べるんです。友人はもちろん、時には担当の教授もつきっきりで教えてくれたりする。とにかく、みんな自分のことのように必死になってやってくれるんです。だから、私の英語もあれだけ短期間で上達したのかもしれません」
 
 
白文字


 
 
 

 マイナス面を見て切り捨てるのではなく、プラス面を見つけてみんなで伸ばす土壌があったという。そうすることが、ひいてはみんなのプラスになるという発想だったという。だから、起業家への応援も積極的だった。大学も街もこぞって応援する風潮があった。

「起業家は誰よりもエライみたいな雰囲気がありましたよね。それに、何度失敗しても、それをダメな人間だととらえない。失敗は次の成功へのステップだと考えるんです。だから、日本では考えられないことですけど、どこかに転職しようとするとき、提出する履歴書に○○年起業、○○年倒産なんて平気で書く。日本だと、履歴書に、会社を経営していて潰しましたとあると、印象が悪くて採用されないこともある。でも向こうでは、絶対有利なんです。会社を経営していたという実績はとても大きい。当然、つぶれた理由というのはもちろん聞かれるんですけど、きちんと正直に説明すればいい。会社をやってだめだったら、次に大きい企業を受けるとか、そういうのは全然ありなんです。失敗を評価するんですね。だから、おもしろいことに、起業して失敗するとします。それでまた次に起業するとした時に、誰に投資してもらいにいくかというと、前と同じベンチャーキャピタルに行くんです。それが資金調達としては一番確率が高いんですね。何故か?失敗した人は、何故失敗したかを基本的には学ぶだろうと。そういう考えを持っているからなんです。だから、その失敗した部分では、次は絶対失敗しないだろうと。前の起業の時は、確かにある理由があってだめだったけれども、このビジネスプランで彼がやれば大丈夫だろう。むしろ初めてやるほかの人よりも間違いないと。そういう認識なんですね。成功率が高いという考え方です。『失敗は学習である』と」






 
 
 
 
 
そういう風土の中、石黒さん自身も起業の道を選ぶ。世界的に有名なIT企業からのオファーもあったというのになぜ…。

「今までを振り返っても、いつも、大きなところより小さなところを選んできてますね。一見すると、その方がリスクが大きいように見えますけど、私にとっては実はリスクの小さい選択なんです」

 ある大企業からオファーをもらった石黒さん。実は起業で得る収入の倍ぐらいの給与提示があった。しかし、石黒さんはこう考えた。

『子供もいるし、自分の会社でやっていたほうが、自分の生活のコントロールもきく。大企業だと、いくら優秀でも、業績によっては、部門ごと首切りもありうる。能力に関係なく巻き込まれる可能性もある。高い所から自分の力以外でコントロールされるのは、困る』と。

「自分の能力を信じることができれば、起業のほうがリスクが少ないと思ったんです。オファーを頂いた企業に関していえば、それほどリスキーだったわけではありません。ただ、例え数パーセントでもリスクの可能性があれば、その結果がボロボロの結果になることもありうるわけです。私にとってそれはすごい賭けなんですね。可能性は低くてもリスクは徹底的につぶすタイプ。起業を選んだのは、ある意味、リスクヘッジだったんです」

 小さな会社であって、その経営者であるということは、権限は大きい。自分でコントロールできる範囲が広い方が、リスクが小さいのだという。

 その後、石黒さんは、順調に自身の会社を大きくしていった。そして、次なるステップを考えていた時に、ネットイヤーグループのMBO(経営陣買収)参画という話がくる。自身の会社とは補完関係にある業態だったこともあり、二つの会社が一緒になることで、さらに発展できるという考えのもと、創業メンバーに加わることとなった。次なるステップへのチャレンジだ。徹底的にリスクはヘッジするが、大胆な挑戦も忘れない。これは留学時代に培ったものかもしれない。失敗を怖れてはいけない。失敗を怖れる必要はない。スタンフォード、シリコンバレーで学んだこのことは、今の石黒さんの生き方に大きな影響を与えてくれた。そして、これは留学生のみなさんにも、一つのアドバイスになるのではないかという。



 
 
 


「おそらく、どんな優秀な人でも、留学当初は失敗の連続だと思うんですよ。それはしょうがありません。日本じゃないんですから。でも、失敗したからといって、そのまま引っ込んでしまってはダメ。失敗はいい経験だと思うべきです。失敗からはいろいろ学ぶことが多いからです。自分が失敗したところを一つ一つ直していくだけでも、大きな成長につながります」

 失敗して、どうしても落ち込んでしまった時は、自分が留学を志した頃を思い出してほしいという。

「おそらく、失敗して落ち込むなといっても難しいかもしれません。優秀な人であればあるほど、人生で初めて味わう劣等感でしょうから。なかなか思うように勉強ができない。就職もままならない。こんなはずじゃなかったと。確かに、そこまで否定されなくても…と思うぐらい、徹底的に否定されていると感じると思います。でも、そんなのは当たり前なんです。新しいことに挑戦しているわけですから、できなくて当たり前、否定されて当たり前なんです。でも、よく考えて下さい。英語の能力や、勉強の成績は、できなければ否定されるでしょう。でも、あなたの資質のすべてを否定されているわけじゃない。否定されたと思っていることは、誰だって一度は失敗していることだったりするんです。そして何より、その失敗を味わっているということは、あなたが新しいことにチャレンジしている証なんです。そして、失敗は成功のポートフォリオです。留学を思い立ったのは、きっと何か新しいことへの挑戦だったはずです。その時の志をもう一度思い出して、それを全うして下さい」
 
 
石黒イズムをさらに楽しむにはこの一冊!
『言われた仕事はやるな!』
(朝日新書109)朝日新聞社:¥735(税込)

初の自著本となる本書は、「自分の意思で生きろ」と両親から教えられて育った幼少の頃から、女子の大卒の採用がない時代の就職活動、そして、就職した企業での仕事ぶり、留学シリコンバレーでの起業と、石黒さんの今を作りあげる礎となった体験談が盛り込まれている。本誌インタビューにもある「失敗は学習だ」等のメッセージ満載の一冊。

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