今年の夏、政府の出資を得て設立される株式会社産業革新機構。
同社は、成長が期待できる事業への出資を行う投資ファンドなのだが、
その事業内容は、ただの投資ファンドに留まらない。
日本経済の持続的成長のために、
経済産業省が描いたロードマップとは。
 
 
 
 
新しく生まれるグローバル市場を日本企業が獲得していくことが重要
 
 
 

 今年の夏、日本に官民出資の投資ファンド、株式会社産業革新機構が創設される。これは、2006年の4月に国会で承認された改正産業再生法の中に盛り込まれた施策のひとつで、政府出資により設立され、民間人材の手で運営される特別な株式会社。経済産業省がロードマップおよびスキームを構築し、今夏の創設に向け、現在最終調整に入っている。同社は、最長でも15年間で解散することが法律で定められており、この限られた期間に、官民が共同で企業や研究機関などが組織の垣根を越えて技術・人材・ノウハウを集約する取組を出資の形で支援。その事業活動を通し、富を生み出す革新的な産業構造への転換を目指していくのだという。世界的な金融危機や資源・原料の再高騰など、厳しい経済情勢が続く中、同社の設立は、日本経済が今後も持続的に成長していくための切り札として期待されているのである。

 これまでにはなかった、官民が一体となった投資ファンド。その事業活動には、「成長が期待できる新しい産業の支援」「日本の潜在力を最大限に引き出す産業構造への転換」「投資ビジネスの成功事例の創出」という3つの目的があるのだという。産業革新機構とは具体的にどのような組織なのか。経済産業省で、同社設立を牽引している梶 直弘氏に、話を伺った。
 
 
「産業革新機構設立のまず根底にあるのは、日本経済の持続的な成長に寄与するということです。そのためのひとつとして、これから成長が期待できる分野を見極め、新しく生まれるグローバルマーケットにおいて、日本企業が活躍できるよう、ペイシェントリスクマネーを供給していきます」(梶氏)

 世界的な金融危機や貿易条件の悪化は、日本経済の中長期的な成長戦略に負の影を大きく投げかけている。すでに成熟したマーケットにおいては、状況が急に転換するとは考えにくく、とすれば、今後も日本が国際競争力を保っていくには、新たに生まれるグローバル市場を確実に獲得していくことが重要となる。しかし、そもそもこの厳しい経済情勢下、新たに市場が生まれることなどあるのだろうか。

 「社会的に課題とされる分野は、継続的なニーズの生まれる成長市場と捉えることができます。例えば、地球温暖化は近年大きな課題とされ、その大きな原因とされるCO2は、2050年には、世界全体で半減のレベルまで削減していかなければならないと国際的に合意されています。これを考えれば、たとえ経済全体は世界的な不況であっても、環境・エネルギー分野の需要は高くなることが予想されます。こういった成長分野で世界をリードするベンチャー企業を育成するのが同社の事業内容のひとつとなります。この環境エネルギーの分野や、常に進歩が望まれる医療の分野は、日本に埋もれた技術が世界的課題の解決をもたらす可能性を秘めており、国として重点的に出資を行っていく必要があると考えています」(梶氏)

 ちなみに、投資先企業の決定において、国は、社会的ニーズの存在や成長性など事業の方向性を定めるに留まり、投資案件の詳細は、同社の民間人材の判断に委ねるのだという。国が全ての決定権を握り機構は事務処理を行うだけというスタイルではなく、同社の従業員が責任あるプレイヤーとして活動しなければ、優れた事業成果は期待できないとの考えがその根底にある。そのため国は、出資やガバナンス、産業革新委員会とよばれる同社上層部の人事など、株主に近い役割で同社と関わる。この位置関係を保つことによって、国と民間、お互いが緊張感を保ち、それぞれが責任感を持って活動することができるのである。
 
 
埋もれた技術を最大限に活かす新事業をプロデュース
 
 
 

 さて2つ目の目的は、日本の産業構造を「潜在力を最大限に引き出すことができる産業構造へ転換」することだ。消費も労働も情報もグローバル化し、オープン・イノベーションの可能性が広がるなかで、製造業大企業主導で海外進出する従来の「ピラミッド型」産業構造は終わりを迎え、地方の中小企業も創業直後からグローバル市場に展開することが必要な時代になる。

 「日本には、世界に誇る技術を持った中小企業が多数存在します。世界シェアをほぼ独占しているような部品・素材メーカーがたくさんあるのです。しかし、このような技術を日本は活かしきれていません。部材や素材を、売れる商品として世界市場に展開する仕組みがない分野が多く存在するのです。日本は、素材の段階では優れた技術で世界トップレベルのシェアを獲得していても、最も利益の出る、製品販売やランニングの部分で他国の企業に水を開けられてしまっていて、せっかく日本が優れた技術を持っていても、それをうまく組み合わせての事業化ができていないのです。こうした技術を最大限、『富につなげる』新事業も提案し、引っ張っていくことが重要だと考えています」(梶氏)

 例えば、「水ビジネス」がそうだ。日本メーカーの水処理部材は非常に優れており、世界の水道事業において、部品レベルでは高いシェアを有している。運用ノウハウにおいても、東京都水道局は世界一の漏洩率(水漏れが発生していない率)を誇るなど、日本はトップクラスの技術を持っている。しかしながら、需要の伸び続けるアジアやアフリカで水処理施設を運営しているのは、ヨーロッパの企業である。水質汚染による飲料水不足が深刻化する中、安全で豊富な水に対する需要は高い。ヨーロッパ企業も使う部材は日本メーカーの部材であり、部材の売上げは伸びている。しかし、日本では水道事業を地方自治体が運営しており、事業を世界に展開していない。ワールドワイドのマーケットニーズがあり、せっかく優れた技術を持っているにも関わらず、グローバルマインドを持ち部材メーカーや水道事業者を巻き込み牽引する存在がないために、日本には部材販売による利益しか回ってきていないのである。
 
 
「日本の潜在力を最大限に引き出すことができる産業構造への転換」に向けて、他にも様々な新事業アイディアが次々に生まれている。例えば、同一分野内における「特許のライセンス卸ビジネス」がそうだ。複数の研究機関や企業に散在する特許を一カ所に集約させることで、特許利用がスムーズになる。知識の共有も見込め、多くの産業で問題になっている、企業間で研究開発が重複した場合のコスト抑制に繋がり、全体で見れば研究費用が有効利用される。さらには、大学などの研究機関が、特許を取得し売却するという新しい収益モデルを確立でき、なおかつ研究の成果を社会に発信しやすくもなるのだ。梶氏はさらに続ける。

 「ベンチャー企業の技術を大企業に販売する、セカンダリーベンチャー型投資の支援も構想しています」(梶氏)

 これはベンチャー企業と大企業の間に入り、ベンチャー企業から買い取った技術を、大企業のニーズに合わせて成長させて販売する事業だ。現状では、ベンチャー企業と大企業の間に、まだ製品化に至っていない技術が取引されるマーケットが存在しない。ポテンシャルある技術でありながら、研究開発費や製品化アイディアの不足を理由に開発半ばで消えていってしまう技術も多いのだという。こうしたシーズのマーケットを創出できれば、大企業の技術力アップの加速化、「売れる」技術の創出、ベンチャー企業の新しい収益モデル創出といった効果も見込まれるのだ。

 このように産業革新機構は、新事業への出資だけでなく全く新しいマーケットそのもののプロデューサー的な役割も果たしていく。資金援助と事業提案、日本経済が成長していくための新しい事業展開に、地域、海外、ベンチャー企業やニッチ産業から日本を牽引する大企業まで、経済全体を見渡す国の視点をリンクさせ、中長期的な国家戦略の文脈を踏まえながら、多様なアプローチで寄与していくのである。



自ら先頭に立って進んでいくことで投資活動を活性化させる
 
 
 

次に3つ目の目的、「投資ビジネスの成功事例の創出」についてはどうだろう。日本経済が今後も持続的に成長していくには、技術イノベーションを活性化させ、新しい分野でグローバルマーケットを獲得していくことが重要だということは、前述の通り。そして、新たな分野で事業が成長していくには、運営資金を獲得する持続的な仕組みが必要となるわけだ。しかし日本では、ベンチャーキャピタル(VC)投資の規模は欧米の約1/30。しかも、日本のVCはIPO(新規株式公開)によるキャピタルゲイン目的の投資が主流だったため、事業化・産業化を目前に控えたレイターステージからの投資ばかりでシード段階からの創業支援型VC投資は非常に少なかった。また、シード段階の企業への投資が増えているとはいえ、日本の投資ファンドは約5割が経営には関与せずにただ出資するだけなのに対し、欧米ではほぼ100%が投資企業の代表取締役に就任。経営にフルコミットして、自ら投資先企業の企業価値を高め、IPO のみならずM&Aなどの企業売却によって投資回収しているのだという。この現状を踏まえ、梶氏は言う。
 
 
「日本にも技術に着目した投資に興味を持っている投資ファンドや投資家はいるのです。しかし、これまでの成功事例が日本にはあまりないために、積極的に行われていないだけなのだと思います。ですから、まずは産業革新機構が先頭に立ち、成功事例を作っていくことが重要だと考えています。技術に着目して出資を行い、ハンズオンで企業価値を高める。そして、IPO以外で利益を得る。この成功事例を多く作っていくことができれば、新事業が育ちやすいサイクルができてくると考えています」(梶氏)

 なるほど。新たなビジネスモデルでの成功を実績で示すことは、新事業の成長に欠かせない技術投資を促す。IPO以外の収益モデルを日本でも確立することで、投資ファンドによる投資活動全体の底上げ効果も見込めるというわけだ。
 
 
経済全体のあり方をデザインする。それが経済産業省の仕事
 
 
 

 いかがであろうか。官民出資の投資ファンド、その事業内容は、ただの出資会社にあらず。成長産業を見極め、出資して成長を促し回収するという投資ファンド本来の事業をベースとしつつ、新たなマーケットのプロデュースを通して、日本が持つ技術を最大活用し、長期にイノベーションを促進する産業構造を構築する。さらには、率先してリスクを取り、新雪に轍を付けることで、新事業の成長に欠かせない投資ビジネスの活性化をも促す。まさに事業を通して、日本の産業構造そのものの転換を目指す組織になっている。民間ビジネスのプレイヤーだけでは組み上げることのできないスキームであり、これを生んだものこそ、一企業の利益ではなく国内外の経済全体を見渡す経済産業省の視点であろう。産業革新機構の概要を知った上で、もう一つ、どうしても知っておきたいことがある。そもそも経済産業省は、なぜこのような組織を設立しようと考えたのか。そして、どのような考えのもと、このスキームが組み上がったのか。先出の梶氏に話を伺った。
 
 
「そもそもの始まりは、経済産業省が産業構造の今後のありかたについて研究する中で、『日本は、企業や研究機関が技術や知的財産など良いものを持っていても、売れるモノやサービスを作り出し、利益を生む仕組みに結びつける使い方ができていない』という問題点を見つけ出したことにあります。多くの有識者、様々な産業の方、金融機関の方に、毎日毎日何十人にも話を聞いていくうちに、日本は、社会のニーズに基づいて技術を組み立て、売れるモノを作ることができていない、その台風の目になる存在がないということが多いと気づいたのです」(梶氏)

 日本経済の中長期的な発展のために、常に経済全体を見渡し、解決すべき市場の歪みを探っているのが経済産業省。まず問題点として浮かび上がったのは、産業革新機構の目的の一つとなっていた、産業構造そのものが、日本の潜在力を最大限に活かせるものになっていない、ということだった。

 「そして、各社・研究機関が持っているモノ・ヒト・情報を組み上げ、必要なカネを融通すれば、新しいビジネスが生まれるのではないかと考えました。カネの後押しだけなら投資銀行や民間のファンドでもできます。しかし、この問題の背後には『経営者の保守性』という根本的な問題がありました」(梶氏)

 経営者、特に大企業の経営者ともなれば、株主や社会に対して非常に大きな責任を持つ。もし新しいモノを取り入れて失敗してしまったら、もし自社では不要として売却したモノが他社で大成功したら、それは「ゴメンナサイ」だけでは済まされない。その結果、産業界には、気心の知れた相手と、いつものように、と自らの社会に閉じこもる経営者が増え、強固な縦割り構造ができあがったのである。「メッシュ化」という言葉が生まれたように、完成車メーカーが系列下請企業の取引を独占するような閉じた取引関係は、近年、徐々に薄れては来ている。しかし、隅から隅まで把握している自社開発技術、こつこつ育てて長年親しんだ自社事業と違って、他社の技術や事業を社内に取り込むことには慎重になる。また、自社ではノンコアだとして売却した技術や事業が、後になってもし買った側の他社で大成功してしまうと、その経営者は売却判断を誤ったと糾弾されるため、外部への切り出しに対しても慎重になってしまう。こうした「自前主義」の問題が根底にあるため、ただ単に「カネの後押し」をしただけでは、産業構造を転換することは難しい。既存の産業、既存の社会のありかたのままでは、今後ますます早くなるグローバル市場の変化に対応し、成長していくことは難しいのだ。そこで経済産業省は、

 「社会的課題を解決するような新しい分野を成長させ、新しいマーケットを生み出すことが、日本経済全体の成長につながると考えました。そして、成長分野へ事業会社の投資を促すには、金融機関や事業会社などの個別の努力ではなく、『産業や組織の枠を超えて日本の叡智を結集する』という明確なコンセプトに基づいて国として一丸となって応援した方が、社会のムーブメントを作り出せると考えました。政府が打ち出すことで、保守的な経営者も耳を貸すようになりますし、日本経済全体としてまとまりを持った動きを作り出すことができます。このため、政府が出資し、コンセプトを打ち出して、民間人材の力を活用しながら成長分野に投資していくというスキームを作ったのです」(梶氏)

 まだニーズが産業に結びついていない分野を見つけ出し、政府がコンセプトを打ち出すことで、経済の様々なプレイヤーを巻き込んでマーケットとして成長させていく。公的な裏付けのある資金であること、そして、国として注力すべき分野であると示すことは、保守的な経営者が、新しいことを始める、「変わる」ことに大義名分を与える。そして、政府が明確に成長分野を示すことは、投資事業者側にも「安心」を与える。
 
 
経済産業省が行うべきは、方向性を示し、官民の様々なプレイヤーを巻き込んで、ムーブメントを作りだすことだ。民間のプレイヤーとして活躍する人材も必要だが、経済全体の仕組みを作って人を動かすことで、あるべき姿を実現する人材も、経済が成長していくには欠かせない。経済産業省の仕事は、経済全体の在り方のデザイン。そのクリエイティブさを梶氏は楽しんでいる。

 ゲーム・プレーヤーではなくゲーム・メーカーとして日本の経済を支えている経済産業省。産業革新機構の事業開始までは、もう間もなく。実際に動き始めてみなければ、わからないことも多いであろう。最後に梶氏は、自分に言い聞かせるようにこう言った。

 「15年後、自分が一度も会ったことのない方々が『産業革新機構ってあったよな。あれがあって良かったな』と話しているのを耳にすることができたら、幸せですね。一人でも多くの方にこう言ってもらえるよう、今後も自分なりにベストの政策を模索していきます」