半導体製造装置
 
 
よりスリムに、より多機能に、そしてより高性能に。
日々目覚ましい速度で発達しているエレクトロニクス製品。その背景に、
一つの日本企業が大きく関わっているのはご存知であろうか。
世界中のエレクトロニクス製品の根幹に、東京エレクトロンあり。半導体製造装置という分野で、日本のみならず世界をリードする、同社の実像に迫る。
 
 
2007年・半導体製造装置の世界売上げトップ10社ランキング
出所)VLSIリサーチ社
 
 
まさに今、あなたの目の前にも「東京エレクトロン」がいる!

 同社を知っている方ならまだしも、知らない方にとっては何のことだかさっぱりわからないと思われる。半導体製造装置の売上高で世界第2位の実績を持つ東京エレクトロン。半導体産業に携わる人であれば知らぬ者はいない、そう言っても過言ではないほど、世界的にその名を知られている日本企業である。しかし、読者の中には今初めて聞いた、そもそも、「半導体製造装置」って何だ? という疑問を持たれた方も多いであろう。読んで字の如く、それは半導体を製造する装置のことだ。漢字の字面から、その用途を想像することは容易にできたであろうが、半導体製造装置と聞いてもまったくピンとこないのは事実。そして、日常生活において、私たちが日々気づかないところで、同社の技術の恩恵を受けていることもまた、あまり知られていない事実である。

 携帯電話やパソコンをはじめとするデジタル製品、さらには自動車や家電製品など、今やあらゆる電子製品の心臓部に半導体が使われているのは周知の通りであろう。そして、これら製品が日々目覚ましく進化しているのは、心臓であり頭脳でもある「半導体」そのものが進化しているからに他ならない。ここで考えてみていただきたい。半導体は一体どのように製造されているのだろうか。話の流れからして、この答えはもちろん、半導体製造装置を介してである。では続けて、半導体はどうすれば進化するのであろうか。

半導体を製造するのが、半導体製造装置である以上、半導体が進化するには、半導体製造装置を進化させる必要がある。つまり東京エレクトロンは、絶えず激しい技術革新が求められる半導体産業において、常に未知なるチャレンジを繰り広げ、新しい装置を開発・製造し続けているというわけだ。同社が製造した装置は、日本のみならず世界中の半導体メーカーに納品される。そして、それによって作られた半導体が、今度は電子製品メーカーへ渡る。最後に完成品となって私たちの手元に届く。東京エレクトロンは、同産業において何十年も業界をリードしている企業である。それでも普通に生活していては、その存在にすら気づかないかもしれない。しかし、電子製品が進化し、私たちの生活が豊かに、便利になるその根幹には、確実に東京エレクトロンという日本企業の技術が隠されているのである。
 
半導体の産みの親
それが半導体製造装置
私たちの身の回りにある電化製品のほとんどに使われている半導体それは、数々の超ハイテク装置によって作られている。
 
 
半導体が使われている主な製品
その他にも、リモコンや電卓、ビデオカメラなど、身の回りのありとあらゆるエレクトロニクス製品で半導体が使われている。もはや私たちの生活から半導体のない生活は考えられないのだ。
 
 
 
驚愕のハイテク技術半導体の加工技術はすごい!!
 
 
半導体の製造技術に、微細加工技術と呼ばれる技術がある。これは、簡単に説明すると配線をできる限り細くして、集積度・集積密度を上げる技術のことだ。トランジスタ回路には、幅0.0001mmの配線も存在する。それは例えば髪の毛の幅(約0.1mmとする)の1/1000の細さ。実際にはnm(ナノメートル)という単位で表記している。

エッチングシステム(写真:Telius)
※Teliusは、東京エレクトロン株式会社の登録商標です。
 
 
 
業界世界トップシェアまでの歩みを追う
 
 
 
同社の軌跡を追うと、創業から一貫して変わっていないことがあることに気づく。それは、「徹底して顧客の満足度を追求する」という経営理念だ。顧客を満足させるために、アフターサービスを含む商社事業を展開し、顧客のニーズに合わせるために必要とあらば、メーカー機能を備える。事業形態は柔軟に変えても、顧客第一主義だけは貫き通した。まさにこれこそ、同社がリーディングカンパニーへと成長を遂げた由縁ではなかろうか。




1963 誕生 二人の若者の熱き思い
同じ総合商社に勤務していた久保氏と小高氏。この二人の若者が、東京エレクトロン創設の中心人物である。彼らは、当時の商社の売り切り性のビジネスの在り方に、不満を抱いていた。売るだけでは、顧客の満足は得られない。しっかりとしたアフターケアがあってこそ、顧客の満足を得ることができるのではないか。こうした考えのもと、当時の米国のベンチャー熱の影響もあり、独立を決意。資本金500万円でスタートする。
社会背景

・ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される
・国産アニメの第1号『鉄腕アトム』放送開始[/]

1964  専門商社としてスタート
この年の5月、小高氏は単身米国に渡り、サームコ社の副社長と代理店契約の合意を得る。その後、正式契約が締結された。米国市場向けのカーラジオの輸出と米国サームコ社の半導体製造装置の輸入。同社のビジネスは専門商社としてスタートした。カーラジオの輸出の好調もあり、初年度から黒字を計上した。
社会背景

・東海道新幹線開通
・東京オリンピック開催

☆Point
久保氏と小高氏は、扱いの難しい海外製エレクトロニクス製品を取り扱うにあたり、顧客に満足してもらうためには販売後のアフターケアが必須と考えていた。そのため、まずは扱う製品のデモ機および部品を購入。実際に自分たちで理解し、修理を含むケアまでを一手に担ったのだ。
 
 
1965  大きなビジネスチャンス到来
時半導体や半導体製造装置の生産において、急速に業績を伸ばしていたフェアチャイルド・セミコンダクタ社が、日本における新しい代理店を探しているとの情報をキャッチ。久保氏と小高氏は、ロバート・ノイス博士(同社の創業者の一人で、後にインテル社を創設)に、強力に自社を売り込み、その結果代理店契約の合意を得た。来たる日本への導入に備え、1台4000万円する、デモ機の購入を決意。
社会背景
・ベトナム戦争勃発
・世界初の商業衛星打ち上げ成功
 
 
1965  リスク覚悟で得た成功
資本金500万円の会社が、1台4000万円もするデモ機を購入することは、相当なリスクを覚悟する必要があった。小高は社運をかけて、日本の大手電機メーカーに米国のIC技術の状況と将来性を説いてまわった。その結果、各社から受注が舞い込み、ICテスタの売れ行きは一気に伸びる。
日本のIC(集積回路)産業の歴史を作る
社会背景
・ビートルズ初来日
・国際電話ダイレクトコール開通
 
 
1968 半導体製造装置の国内生産を開始
64年に代理店契約を結んだサームコ社と合併し、日本で最初の半導体製造装置業メーカーを設立。これまでの商社機能に、メーカー機能が加わり、当時としては特異なビジネスモデルを確立させる。
商社とメーカー2つの顔を持つ企業に
社会背景
・インテル社(米国)設立

1968 ドルショック
1973 石油ショック

1975 未来への決断
ドルショックと石油ショックは、高度成長を続けていた日本経済に大きな打撃を与えた。これを受け、東京エレクトロンは、事業形態を大幅に修正。当時、売上の約6割を占めていたカーラジオをはじめとする、民生用電子機器の生産およびその輸出から撤退。一時の売上の大幅減は覚悟で、景気に左右されることなく、常に高収益を獲得できるよう、付加価値の高い半導体製造装置、コンピューター関連機器、電子部品に特化した事業形態へ転換した。

エレクトロニクス産業に特化
社会背景
・マイクロソフト社(米国)設立
 
 
1981 最先端技術を持ったメーカーへ
1980年代に入ると、国内半導体産業の隆盛を背景に、積極的に半導体製造装置の国産化を図った。米国企業との合併会社も次々と設立。米国で開発された優れた技術を進んで導入し、自社の製造技術と一体化させた。こうして培った技術のもと、自社生産比率を急激に増大。最先端技術を持つメーカーとしての地位を確立した。
自社生産比率を急速に増大
社会背景
・IBM社(米国)がパーソナルコンピューターを開発

1989 半導体製造装置売上高世界NO.1へ
日本を中心に半導体市場が活況を呈する中、東京エレクトロンは一躍、半導体製造装置売上高世界ランキング(VLSIリサーチ)でトップに躍り出た。これから、1991年まで3年連続でトップの座に輝く。また、同時に海外にサービス展開するための拠点・環境を整備。より現地の顧客のニーズに合わせたサービスを行なうことが可能となった。
社会背景
・昭和天皇 崩御






日本/連結子会社12社
米国/連結子会社8社、欧州/連結子会社4社
アジア/連結子会社6社

     研究開発費(2007年度)/570億円
 
 
 
 
2007年、同社は創業以来、過去最高の売上および利益を達成した。今でこそ最新技術を有するエレクトロニクス分野のメーカーとしてのイメージが強い同社だが、しっかり商社の機能も併せ持っている。それは、この形態こそが最も顧客のニーズに応えられる姿であるからに他ならない。自社でオリジナリティー溢れる製品の開発を進める一方、場合によっては自社の製品にこだわらず、商社として顧客のニーズに応えている。創業以来の「顧客第一主義」の企業文化は、今なおしっかりと継承されているのだ。

 そして、この考えは海外展開においても同じことが言える。それまでも海外拠点はすでに設立していたが、同社は敢えて94年をグローバリゼーション元年と掲げている。この年は販売からサービスまでを現地で直接行なう海外の直販体制を欧州でスタートさせた年だ。これにより現地の顧客のニーズに対し、迅速かつ最も効果的に応えることが可能となった。そして、その効果は数字からも見て取れる。上のグラフを見て頂きたい。アジア地域の急激な経済発展という要素も多分にあるが、海外直販体制スタートから4年、98年を最後に、国内と海外の売上高比率は逆転しているのだ。現在同社は、海外に18の拠点を持ち、グローバルな事業を展開している。

 同社の売上高のうち、最も構成比が高いのは、やはり半導体製造装置で、全体の約75%を占めている。そして、それに続くのが、フラット・パネル・ディスプレイ(FPD)製造装置である。これはパソコンや液晶テレビのディスプレイを製造する装置だ。現在、世界レベルでアナログ放送からデジタル放送への切り替えが進んでおり、今後は液晶テレビへの買い替えが大規模で進むことが予想される。同社はFPD製造装置の中でも、FPDプラズマエッチング装置の世界シェアは約80%と、ほぼ独占状態にある。液晶テレビの大規模買い替えが進めば、大幅な成長が見込めるのは間違いないであろう。

 また同社は、環境対応の技術開発にも意欲を燃やす。自社製品の省エネ化を進めるとともに、今年の2月、太陽電池のリーディングカンパニーであるシャープ株式会社と合弁会社を設立。本格的に太陽電池製造装置事業に乗り出すことを決めた。自社の技術を地球のために役立てる。それも業界のリーダーとしての使命なのである。






環境・エネルギー問題に貢献太陽電池用製造装置事業開始
 
 
 
今年の2月、シャープ株式会社との合弁会社・東京エレクトロンPV株式会社を設立。これは、世界中で課題となっている環境・エネルギー問題に対する一つの解決策として注目される、太陽電池の製造装置の開発を目的に作られた。東京エレクトロンと太陽電池のリーディングカンパニーであるシャープの技術融合により、より生産性の高い装置の開発が期待される。来年には初号機の出荷が予定されている。