「一人でも多くの子どもたちの可能性を引き出してあげたい」─この想いのもと50年。

日本発の公文式教育法は、世界45の国と地域に広がり、
世界で最も浸透している教育法へと成長を遂げた。

日本の「公文式」から世界の「KUMON」へ。

文化や習慣の異なる国々へ、どのようにして広がっていったのか。
KUMONの世界展開のメカニズムを追う。






息子への愛情から始まり世界45の国と地域へ


 今年で創立50周年を迎えた、大手学習塾の日本公文教育研究会。「公文式」の名前は誰もが聞いたことがあるだろう。世界中の一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしてあげたいという志のもと、50年。創始者である公文公(くもん・とおる)氏が、小学校2年生の我が子のために考案した「公文式」は、息子から近所の子どもたちへ、そして日本中へと広がり、今や世界45の国と地域に展開。全世界で2万5000以上の教室を構え、学習者数は419万人に達した(2008年3月末)。しかも、そのうちの6割以上、269万人が海外の学習者となっている。ローマ字表記で「KUMON」と記せば、それはどこでも通じる世界共通の言葉に。日本発のKUMONは、世界で最も認知されている教育法と言っても過言ではないのである。
 
 
 
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自ら問題を解決する力が養われる教育法


 さて、現在海外で生活する読者のみなさんの中にも、幼少期、公文式の学習をしていた、という方は多いのではなかろうか。「やってて良かった公文式」─その教育法の特徴は、子ども一人ひとりが自ら意欲を持って学習に取り組めるよう、工夫がなされている点にある。
 学習の方法は、プリント教材による自学自習スタイル。子どもたちは自分の好きな時間に教室を訪れ、まず指導者からその日の課題プリントを手渡される。それを各自、例題などを活用しながら自分で考えて解き、終わったら指導者に渡して採点してもらう。間違えた問題があった場合は、再度自分で考えて解く。指導者は、どうしても生徒一人では正解を導き出せないと判断した場合のみヒントを与えるが、基本的には助言はしない。そして、すべて100点になればその日の課題が終了となる仕組みだ。
 教材は、例えば数学の場合、高校レベルの代数計算をスムーズに学習できるようになることを到達目標に、そこから下降方式によって作成されている。年齢や学年に関係なく、その子のちょうどのレベルからスタートし、徐々にステップアップ。自分のスピードで、学年を越えて学んでいくことが可能となっている。そして、学校で習っていないレベルに到達した子どもたちは、見たことも聞いたこともない問題に直面し、それを自分で考え、答えを導いていく。これにより、子どもたちは「学び方」を学んでいくのである。こうしたプログラム教材と自学自習による学習を通して、子どもたちには、自ら目標を設定し、それを達成するために何をどうすれば良いのか、社会に出てから役立つ「自ら問題を解決する力」を知らず知らずのうちに身につけていくのである。
 また、一斉授業の同一カリキュラムによる授業の内容では「飽き足らない子」も、逆に「ついていけない子」も、公文式教室では、誰もが自分自身の可能性に挑戦することができる。なぜなら、自分の学力にちょうどの問題に取り組むため、すらすらできるから勉強が楽しく感じられ、もっと勉強したくなるという好循環が生まれているからだ。
 それぞれが自分の目標を持って学習する。学習すれば成長が実感できるからもっと学習したくなる。ある生徒は言った。「先生、KUMONってサッカーと一緒なんだね」
 
 

我が子への愛情が公文式の始まり

 公文式の始まりは1954年。当時高校の数学教師だった公文公(くもん・とおる)氏が、小学校2年生の我が子へ、ルーズリーフに手作りの問題文を作り始めたことに端を発す。子どもの可能性を最大限に引き出してあげるのが、教育者の務めと考えていた同氏。そのためには、どうすれば良いのか。正解を教えるのは簡単だが、それでは本当の意味での教育にはならない。人から教えてもらうのではなく、自分自身で解き進むことによってこそ本物の学力が身に付くと、問題文の作成には工夫に工夫を重ねた。そして、息子が毎日無理なく続けることができ、かつ着実にレベルアップできるよう、息子の理解度に合わせ、日々難易度を調整した問題文を与えた。間違えた問題は、正解を教えるのではなく、翌日もう一度、問題の出し方を変えて解かせた。この時の問題文が、今日の公文式教材の原型となる。]
 
 


時代とともにカタチを変えて「広がる」「広げる」
 
 
 

 1974年にニューヨークで教室が開設されたのを皮切りに始まったKUMONの海外展開。その経緯を辿ると非常に興味深い。それは主に海外からのオファーに応える形で広がっていったのである。そして現在は直営教室を開設するなど、さらに積極的に海外への展開を図っている。
 
 
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人から人へ、町から町へ。言葉や文化の壁を越え
 
 
 


KUMONが世界中に広がった要因とは?


 世界45の国と地域に展開するKUMON。日本とは文化も習慣も異なる国や地域で、なぜこれほどまで受け入れられたのであろうか。しかもKUMONの場合は、右ページで紹介した海外展開の経緯からも見て取れる通り、意図的に「広げた」というより、自然に「広がった」という感が強い。この点について、現在、くもん人財開発センターで、採用・社員育成に携わる金恵栄(きむ・へいよん)さんは、その要因として「我が子への親の愛情」「教材や教育法の普遍性」、そして「現地の指導者の存在」、3つのキーワードを挙げた。
 「KUMONは受験勉強を教える場ではなく、将来のための土台や基礎固めにあたる力を養成する場です。そこが、我が子のために何とかしたいと願う、世界中の子どもを持つ親に受け入れられているのではないでしょうか。実際に、学力の向上だけではなく、自ら進んで学んでいく姿ですね。我が子が人間的に成長していくその姿に対して、世界中の多くの保護者から喜びの声が寄せられます」とは金さん。上ページで述べたように、KUMONは、自学自習で次々と新しい問題を解答していく学習スタイルにより、将来役立つ、自ら問題に取り組み、解決する力を養うことができる。文化や習慣によって大きく異なる教育という分野において、唯一不変なのは、人の心。子どもの学びたいという気持ちと、親の我が子のために何かしてあげたいという気持ち。その2つの気持ちに応えられる教育法が、公文公氏が我が子のために考案した、KUMONだったというわけだ。
 そして、学習の内容も「読み・書き、計算」といった、生きていく上で必要な基礎学力の養成がメインだ。これは2つ目のキーワード「教材や教育法の普遍性」に繋がる。
 「KUMONは、あくまでも基礎学力という土台作りを第一に考えているため、教材は、特定の国の教育カリキュラムに沿って作られているのではありません。そのため、どの国であっても年齢や人種などに関係なく、子どもたち一人ひとりのちょうどに合わせた“個人別”の学習が可能なのです」
 数学の教材の問題が全世界で共通なのは前述の通り。KUMONの最大の強み、それは、子どもたち一人ひとりのちょうどに合わせた「個人別」学習を可能とした、プログラム教材と教育法の普遍性にあるのだ。
 そして3つ目。「現地の指導者の存在」とは、どういったことなのか。これについても金さんに伺った。「KUMONの教育は、優れた教材だけではなく、それをより良く活かす先生(指導者)がいなければ成り立ちません。子どもたち一人ひとりの“ちょうど”は、日々変化する子どもの様子を見て、先生方によって見つけられるからです」
 KUMONの海外展開の優れた点として、教室の運営を現地の指導者に任せたことも挙げられる。これにより、現地の指導者による現地の子どもたちのための教育が形成され、自然な形で現地の文化に入ることができたのである。そして、「この教育法は紙と鉛筆さえあればできる」という、南アフリカの指導者の言葉が表す通り、KUMONは多額の設備投資なしに、導入することができる教育法である。フランチャイズ展開に非常に適したビジネスモデルであるということも、海外へ広がった大きな要因の一つだ。



世界のあらゆる国と地域で公文式を


 これまでのKUMONは、海外から教室開設のオファーを受け、それに応える形で、フランチャイズ教室が先行して広がっていった。現在でもフランチャイズ展開がメインであることに変わりはない。しかし、その展開の方式は、時代とともにカタチを変えてきている。変わらないのは、そこにある思いだ。金さんは言った。
 「私たちは、世界中の学習者が夢や目標に向かって自分から学習している状態(2014年ビジョン)を実現することを目指しています。そのために、世界のあらゆる国と地域で、KUMONメソッドで学ぶ機会を提供しようと取り組んでいるのです」
 
 

学校や施設への導入

 KUMONが教室以外の場ではじめて活用されたのは創立5年目のこと。大阪の養護施設で奉仕活動を行なったことがきっかけとなる。現在では、児童養護施設・児童自立支援施設・少年院・医療施設のほか、学校教育の場にも導入され、学習者は141カ所12,000人以上に上る(2007年10月現在)。また、スイスには文部科学省認定の在外教育施設、スイス公文学園高等部がある。