日本を代表する化学メーカー・チッソが製造している「ある製品」が、生命を救う「素材」として、
いま世界中から熱視線を浴びているのだという。
 
 
化学メーカーに対し、大半の方は、「素材」を製造・販売する企業と認識しているのではなかろうか。もちろん、その認識に誤りはまったくない。しかし、製造している「素材」は、衣料品や肥料、食品、部品などに用いられるものだけに留まらない。近年の化学は、我々の生命にも関わる、医療・医薬品の分野でも、重要な役割を担うようになっているのである。

 設立から102年の歴史を持ち、常にパイオニアとして、化学業界を牽引してきたチッソ株式会社。同社が製造・販売する「セルファイン」も、生命を救う「素材」として、今、世界中から注目を浴びている製品のひとつだ。

 「セルファイン」は、特にバイオ医薬品の、ワクチンや血液製剤などの製造に使用される。その代表例を挙げると、例えば、「セルファインサルフェイト」によるインフルエンザウイルスの精製。最近では、鳥インフルエンザの話題が何かと世間を賑わせているので、関心を持っている方も多いと思われる。今はまだ人体に危険を及ぼすことはないとみられている鳥インフルエンザだが、これが人から人へ感染する新型インフルエンザに変異すると、全世界で大流行(パンデミック)が起こる可能性があると危惧されている。そして、このような背景を受け、事前に対策できる「ワクチン」そのものが見直されているのだという。

 インフルエンザワクチンの製造方法は古くから確立されており、ワクチンメーカーのホームページによると、その方法は、まず約11日間孵化させた鶏の卵にインフルエンザウイルスを感染させ、卵の中でウイルスを増殖させる。その後、増殖したウイルス原液を回収。精製・処理を施し、ワクチンの原料を得る、というもの。これが、現在主流の製造方法である。ちなみに、卵1個からできるワクチンは一人分。さらに、ワクチン製造には6ヶ月もの工程が必要だと言われている。

 しかし、この方法には、もし実際に鳥インフルエンザが新型インフルエンザに変異してしまった場合に生じる、ある問題が不安視されていた。それは、世界中の人々に支給できるだけのワクチンを製造するのに、莫大な量の11日孵化鶏卵が必要になることだ。事態は一刻を争う。しかし、それほど大量の11日孵化鶏卵を、しかも早急に準備するとなれば困難を極めるのは必至。さらに、例え準備ができたとしてもワクチンが完成するのは、ウイルスが発見されてから6ヶ月後。先の製造方法は、火急の場面における対応策としては、不安を抱えていたのである。そして、このことが、近年「ワクチン」そのものが見直されている要因であり、チッソの「セルファイン」が世界中から注目されている要因でもある。

 では、これら問題を受け、ワクチンの製造方法はどのように見直されてきたのか。チッソ、バイオ開発グループでセルファイン開発のチームリーダーを務めていた戸所正美氏に話を伺った。
 
 
 
 
化学品事業部
ファインケミカル部

戸所 正美 氏
 
 
「この卵の大量準備を克服するために注目されてきたのが、細胞培養法によるワクチン製造です。この製造方法では、卵の代わりに動物細胞を使用します。動物細胞は大きな培養タンクで培養する事ができるため、卵よりも簡単に準備することができるのです。そして、セルファインサルフェイトは、この細胞培養法において、クロマトグラフィー(物質を成分ごとに分離・精製する技法のこと)用の精製材料として用いることが可能です。いろいろなウイルスを吸着することができ、もちろんインフルエンザウイルスも吸着できます。これにより、製造工程が簡便になり、同時に大量のワクチンを製造することが可能となるのです。現在はまだ、卵を使ったワクチンが主流ですが、今後は細胞培養法とセルファインサルフェイトのような、クロマトグラフィーを用いた製造方法が主流になっていくと思います」
 
 

製造工程を簡便にし、なおかつ同時に大量のワクチンを製造することも可能とする、新しい製造方法。従来の卵を使用する製造方法よりも優れているのは、火を見るより明らかであろう。ここまでの流れからすると、セルファインは、あたかもつい最近開発された製品かのように映ってしまうかもしれない。しかし、その工業化は、実は今から25年以上も前に、すでに始まっていたのだという。

 「25年ほど前、世界的に一度バイオ医薬ブームが起こり、化学メーカーをはじめ多くの企業が、バイオ関連事業に乗り出していました。当社がセルファインの工業化に成功したのも丁度その頃です。当時、同じような製品を製造している会社は、欧州系の大手企業のほか数社しかなく、セルファインはバイオ医薬品の製造に欠かせない精製材料として売上を伸ばす計画だったのですが…。売上は思ったようには伸びず、しばらく低迷していました」

 ワクチンの見直しという時流もあり、現在は世界中の多くの医薬品メーカーで使用されているセルファイン。販売開始から20余年の時を経て、こうして日の目をみるに至ったわけだが、この優れた製品が長い間埋もれてきた、その種明かしはこうだ。

 「セルファインは、バイオ医薬品製造に使われるものですから、販売のターゲットは医薬品メーカーとなります。医薬品の製品開発には、莫大な費用と時間がかかります。医薬品は、効果を確かめることはもちろん、安全性に関しても十分な検証が必要だからです。一般的に新しい医薬品を開発し、販売するまでには、10~15年もかかるのです。そのため、セルファインが新しい医薬品の製造に使われる場合を考えると、安定した販売が始まるのは、製品開発に成功した医薬品の、実製造販売が始まってから。つまり10年以上も後になるというわけです」

 苗を植え、長い年月を経て、一本の大木となる。セルファインの事業は、まるで林業のようである。はたから見たら、長い間、売上を伸ばせない駄目商品に映るかもしれない。しかし、注目を浴びるまでになったセルファインは、今後、多くの人の生命を救うのに役立っていくのであろう。何ともドラマチックな話ではないか。化学の力は生命をも救えるのである。

 常に化学業界をリードしてきたチッソ株式会社。化学メーカーは「素材」を製造し、販売する企業だ。果たして今後はどのような「素材」を世に送り出していくのか。常に進んで新しいことに挑戦する、それが設立から102年、同社がパイオニアであり続けることができる由縁であろう。
 
 


セルファインCellufine
 
 
基材は、セルロースを真球状で多孔質にしたもの。0.05~0.2mm程度のサイズが広く使われており、タラコの卵のツブツブが、イメージに近い。セルファインは、このセルロース微粒子の表面に特定の分子を吸着する機能を持つ「リガンド」を固定化したもの。ウイルスを吸着する特徴があり、ワクチンの大量生産をはじめ、今後、様々なバイオ医薬品の精製材料として期待されている。
 
 
Chisso創立から102年の歩み
 
 

 チッソの歩みは、日本の化学工業の歴史とも言える。設立は1906年。鹿児島県に設立された曽木電気株式会社から、その歴史をスタートさせる。創業者は、野口遵(のぐち・したがう)という人物だ。元々パイオニア精神が強かった彼は、東京帝国大学(現・東京大学)工学部卒業後、官途にも大企業にも進まず、小さな会社で電気について勉強した。そして、前出の曽木電気株式会社を設立したのである。設立当初は、近くの鉱山へ電力を供給することが事業だったのだが、当時、その発電量は鉱山での使用量を上回っていた。そこで野口氏は閃いた。余剰電力とその地方で採れる良質な石灰石を反応させ、合成アンモニアを得ることに成功したのだ。野口氏は、これを加工して化学肥料の生産を開始。これが化学メーカーとしてのチッソの始まりとなる。

 その後も研究により、次々と新しい製品を開発していったチッソは、いつしか化学肥料メーカーから、総合化学メーカーへと成長を遂げる。しかし、それでも野口氏の旺盛なパイオニア精神は留まることを知らなかった。時代に先駆けして、海外進出を敢行したのである。これは、チッソの全財産の85%は海外に存在すると言われるほど、本格的な海外展開であった。
 しかしそれも、第二次世界大戦の敗戦により、海外の財産すべてが没収される憂き目に。これにより、一大総合化学メーカーとしての地位を確立していたチッソだったが、戦後、裸一貫の再スタートを切ることになったのだ。

 ともあれ、野口氏のパイオニア精神は、しっかりと従業員たちに受け継がれていた。再スタートを切るや否や、いち早く石油化学の分野へ進出。1959年には、まるで現在のIT社会を予見していたかのように、半導体の原材料となる高純度金属シリコンの工業化に、日本で初めて成功した。さらに、液晶の素材開発にも早くから着目し、現在では同分野において世界トップクラスのシェアを誇るに至る。チッソは、常に世界の第一線で、その技術を発揮しているのである。